鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリ語り継ぎたい24レース

F1日本グランプリ語り継ぎたい24レース 私の選ぶ思い出のレースF1日本グランプリ語り継ぎたい24レース

F1日本グランプリ語り継ぎたい24レース

私の選ぶ思い出のレース Vol.5
  • 堂本光一
    1991年

    中嶋さんは僕をF1に導いてくれた大きな存在です。

    セナとプロストの対決(89年〜90年)は、子供心に「勝つためにあそこまでやるのか!」と衝撃を受けました。中嶋悟さんの最後の日本GP(91年)や、ミハエル・シューマッハーが最初の引退の年(2006年)に凄い走りを見せてトップ快走していたのですが、エンジンから煙をはいてストップした場面も忘れられません。可夢偉選手が実力で表彰台に上がった2012年のレースは、ここ数年でのF1でもっとも印象的なレースのひとつです。日本GPにはいろんなドラマがありすぎて、なかなかひとつに決められませんが、あえて選ぶなら、91年のレースですね。中嶋さんは僕をF1に導いてくれた大きな存在です。その中嶋さんの母国での引退レースは、マシントラブルでリタイアに終わってしまったのですが、S字でマシンを降りた中嶋さんがスタンドに詰めかけた大勢の観客に手を振りながらコースを歩いていく姿は、今でも鮮明に覚えています。
    ファンとともに走り抜けた鈴鹿F1日本グランプリ。「ありがとう中嶋悟」ラストラン。
  • 大林素子
    1997年

    右京さんはアスリートの極み。
    もう一人ミハエルも命

    私は1997年の夏にバレーボールの現役を退き、フジテレビとキャスター契約をさせていただき、あらゆるスポーツの現場に行くことになったのですが初のキャスターデビューが、その年のF1日本グランプリだったのです。F1はテレビで見てはいましたが、全くの初心者。ビデオや本で猛勉強して、ミナルディのカート大会を取材し乗せてもらったら、それだけでハマッてしまって大感動。日本グランプリでは片山右京さんが現役引退するタイミングで、私が密着リポートを仰せつかりました。右京さんは家を出るときに「もうお父さんは帰ってこないかもしれないから」と家族に言って出る。そんなことを聞くだけで涙が出て、F1はどんなスポーツよりも命がけで、しかもザワザワ感や高揚感がオリンピック以上で、ますますはまり「右京さんはアスリートの極み。右京さん命」になってリポートしたことを覚えています。ドライバーで好きな人はもう一人ミハエル・シューマッハさんで、生でお会いするたびに好きになって、こちらもミハエル命(笑)モンツァにも取材に行きましたが、赤を着ていないと危ないと言われずーっと赤いポロシャツで過ごしたこともあります。お蔭様で国内のレーシング・ドライバーの皆さんともお友だちになれましたし、多くのレース関係の方々にも声をかけてもらえるようになり、モータースポーツとの出会いは私の人生を大きくしてくれました。本当に感謝申し上げます。鈴鹿の日本グランプリがさらに発展するようお祈りします。
    シューマッハとアーバイン。フェラーリコンビの芸術的なチームプレイで、ビルヌーブのタイトル獲得を阻止!
私の選ぶ思い出のレース Vol.5
※内容は予告なく変更となる場合がございます。
※使用している写真・イラストはイメージです。