鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
1991年Vol.1
友情のチェッカー。セナ3度目のタイトル獲得に貢献したベルガーが優勝!

表彰台。セナ(左)とベルガー(中央)。右は3位のパトレーゼ(ウィリアムズ)

表彰台。セナ(左)とベルガー(中央)。右は3位のパトレーゼ(ウィリアムズ)

1991年シーズンはウィリアムズ・ルノーが躍進し、4年連続ドライバー&コンストラクラーチャンピオンを獲得しているマクラーレンHondaに肉薄してきた。ドライバーチャンピオン争いは、マクラーレンHondaのアイルトン・セナとウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルによる一騎打ちとなり、マンセルは鈴鹿と最終戦オーストラリアで連勝しなければタイトルを獲得できない状況で第15戦日本グランプリを迎えた。
この2人の戦いに割って入ったのがセナのチームメイト、ゲルハルト・ベルガーだ。予選1回目でトップタイムを記録すると、予選2回目ではでこれまでのコースレコードを2秒以上縮める1分34秒700を記録してPP(ポール・ポジション)を獲得。この記録は2001年にフェラーリのシューマッハに破られるまで、10年間に渡り鈴鹿サーキットのコースレコードとして残った偉大なタイムだ。セナも0.2秒差でベルガーに続き2番手。マンセルはセナに一歩及ばず3番手を確保するのがやっとだった。
ポール・ポジションを獲得したベルガー
ポール・ポジションを獲得したベルガー
予選2番手のセナ
予選2番手のセナ
予選3番手のマンセル
予選3番手のマンセル
決勝がスタートするとそのままの順位でベルガーが逃げた。セナはマンセルを抑え2番手を走行。このままの順位でゴールすればセナのチャンピオンが決まる。マンセルはセナを抜いて、はるか先を行くベルガーの前に出なければ最終戦に望みをつなげない。焦るマンセルは10周目、メインストレートでセナの背後にぴったり迫り第1コーナーにアプローチした。しかしその勢いのままコースアウト、リタイヤ。ベルガーとセナの完ぺきな心理作戦でマンセルの自滅を誘った。
レース序盤、トップを快走するベルガー
レース序盤、トップを快走するベルガー
レース序盤、2位を走るセナ(左)と3位のマンセル
レース序盤、2位を走るセナ(左)と
3位のマンセル
マンセルはコースアウト、リタイヤ
マンセルはコースアウト、リタイヤ
これでセナの3度目、マクラーレンHondaの4年連続、Hondaエンジンとしては5年連続のドライバーチャンピオンが決定した。その後セナはベルガーに追いつき、そして一気にトップ浮上。しかしファイナルラップに入るとセナがペースダウン。ベルガーが追い付き2台のマクラーレンはテール・トゥ・ノーズで最終コーナーを立ち上がってきた。そしてゴール直前でベルガーがセナをかわしてトップチェッカー。今でも語り継がれる友情のチェッカーシーンが、この時鈴鹿サーキットに訪れた14万8千人のファンの目の前で演じられたのだ。
90年にセナのチームメイトとしてマクラーレンHondaに移籍したベルガーは常に上位争いを繰り広げ、この年は7度、91年も日本グランプリまでに4度の表彰台を経験した。しかしチャンピオン争いをするセナのサポート役としての任務を果たすため、2年間優勝から遠ざかっていた。セナはこのサポートに感謝し、チャンピオンが決定したレースで、ベルガーに優勝をプレゼントしたのだった。
1991年Vol.2
ファンとともに走り抜けた鈴鹿F1日本グランプリ。
「ありがとう中嶋悟」ラストラン。

ファンの声援を浴びて走る中嶋

ファンの声援を浴びて走る中嶋

1987年に日本人初のフル参戦F1ドライバーとなった中嶋悟。同じ日本人がF1の舞台で活躍する姿に、ファンは一喜一憂し、中嶋の存在はなくてはならないものとなっていた。しかし91年、5シーズン目の夏。ティレルHondaを駆る中嶋は第9戦ドイツグランプリの会場で、91年シーズン限りでの引退を発表したのだ。それを知ったファン達は、英雄の引退に涙したが、これまで日本人の期待を背負い、F1の舞台で走り続けた中嶋の活躍に感謝の気持ちを表した。そして「ありがとう中嶋悟」のフラッグを持って、鈴鹿ラストランとなる第15戦日本グランプリの会場に集まったのだ。
コースイン前に緊張の表情を見せる中嶋
コースイン前に緊張の表情を見せる中嶋
中嶋の走り
中嶋の走り
サーキット中が一体となって中嶋に声援を送った
サーキット中が一体となって
中嶋に声援を送った
フリー走行から中嶋がコースインするとサーキット中が大歓声に包まれた。サーキットに集まったファンのボルテージがMAXに達した決勝日。ピットから飛び出し、スターティンググリッドにマシンを進める中嶋とともに、ウェーブがコースを1周した。サーキット中のファンが一体となった瞬間だった。
中嶋応援フラッグ
中嶋応援フラッグ
15番手からスタートした中嶋は徐々に順位を上げ、7位まで浮上。しかし31周目、S字でコースアウトし、そのままタイヤバリアに突っ込んだ。声援は悲鳴へと変わり、そして時が止まったかのように静まり返った。鈴鹿ラストランを完走できず、自身も悔しい思いをした中嶋だったが、マシンから降りるとこれまで応援し続けてくれたファンに感謝の気持ちを込め、大きく手を振りながらパドックに戻った。その瞬間、「ありがとー!」「なかじまー!!」と、地響きがするほどの声援がサーキットを包んだ。走馬灯のようによみがえる87年の凱旋ラン6位入賞、88年のエンジンストールからの怒涛の追い上げ、89年無念のリタイヤ、90年の6位入賞。そしてサーキット中が一体となって応援した91年。ファンとともに走り抜けた5回の鈴鹿F1日本グランプリは、今でも多くのファンの心に残り、語り継がれている。
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