



僕はドライバーズ・ミーティングに入ることが許され、セナが憤慨してその席を立つ場面も見た。

怒涛の走りを展開したキミ・ライコネンです。

鈴鹿のレストランで食事していた30代半ばの男性とたまたま同席になった。

私にとってチェッカーフラッグがF1中継の終わりではなく、もう一つのドラマの始まりだった。

琢磨選手がパルクフェルメに戻り、マシンから降りたときの地響きのような歓声は一生忘れられません。

日本GPは、いつもと違う、妙にグルメ気分のF1だったのが思い出深い。

まったくF1はいつからこんな"茶番"になったんだ。正直そう思った。