黒沢元治

僕はね、鈴鹿サーキットができて一番最初のイベント、「第1回全日本選手権ロードレース大会(1962年11月)」に出て、2レースで勝っているんだよ。ノービス(アマチュア)クラスの50ccと125ccの2レースで勝ったんだ。
「第1回全日本選手権ロードレース」優勝トロフィー
「第1回全日本選手権ロードレース」優勝トロフィー
レース初日は大雨で、トップを走っていた選手がトラブルで止まって、楽々優勝できた。でも、その雨のせいでS字あたりは山の赤土がコースに流れ込んできたりして・・・ようはまだ完璧には出来上がっていなかったからね。その時は2日で30万人近くのお客さんが来たんじゃなかったかな。すごい人だったんだけど、当時は白子駅からサーキットまでのバスとかがなくて、大型トラックでお客さんを運んでいたよ。
1961年工事中の鈴鹿サーキット

1961年工事中の鈴鹿サーキット

1961年工事中の鈴鹿サーキット

1961年工事中の鈴鹿サーキット

1961年工事中の鈴鹿サーキット

1961年工事中の鈴鹿サーキット

たしか、建設当時は自動車が走るってことを考えずに作ったんだよね。だからコース幅が狭くて、1〜2コーナーやスプーンはコースを内側に広げたんだ。S字はね、山を避けて作ったから"たまたま"S字になったんだよ。コース幅を広げたり、山を切り開いたから山はなくなったけどね。あとはデグナーの外側と130Rの間は30mぐらいの落差がある崖で、日産でテストをしている時にステアリングが効かなくなって落ちちゃったことがあるんだ。それで危ないからって埋めることになったんだよ。
1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

4輪で一番思い出に残っているレースは、鈴鹿300キロレース(1965年11月開催)。それまでスプリントレースばかりだったんだけど、初めてのロングランだった。僕はその年に日産と契約したんだけど、毎日出勤して自分のマシンは自分で作っていて、その時のクルマもエンジンからミッション、車体まで全部自分で作った。

その時、ライバルで速かったのが滝進太郎でね、ロータスエランのレーシングバージョン。僕は予選2番手でロータスには敵わなかったんだけれども、半分ぐらい走った時に滝さんがヘアピンを立ち上がったところで止まっていて、「あっ、これで勝った!」と。そこからは楽勝だった。そうやって全部自分で作ったクルマで勝ったレースだから、今でもすごくはっきり覚えているよ。真っ赤なフェアレディでね。300kmをひとりで走った。
1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

1965年鈴鹿300キロ自動車レース

22歳の時に鈴鹿で初優勝して、今82歳。ちょうど同じ60周年で、だから鈴鹿サーキットは僕の人生そのものなんだけれども、僕はオープニングレースの時から現在に至るまで、誰よりも鈴鹿サーキットに通い続けた男ですよ。今でもNSXのオーナーズミーティング等で鈴鹿に行っているし、途中途切れたり、しばらくぶりっていうことがない。だからこそ、鈴鹿サーキットに対する思いや情熱は誰にも負けないぐらいあるんだけど、これから僕らに続いてくる若い人たちにもそういう思いを持ち続けてもらえるようなサーキットであってほしいね。

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