2022/02/10
黒沢元治
その時、ライバルで速かったのが滝進太郎でね、ロータスエランのレーシングバージョン。僕は予選2番手でロータスには敵わなかったんだけれども、半分ぐらい走った時に滝さんがヘアピンを立ち上がったところで止まっていて、「あっ、これで勝った!」と。そこからは楽勝だった。そうやって全部自分で作ったクルマで勝ったレースだから、今でもすごくはっきり覚えているよ。真っ赤なフェアレディでね。300kmをひとりで走った。 22歳の時に鈴鹿で初優勝して、今82歳。ちょうど同じ60周年で、だから鈴鹿サーキットは僕の人生そのものなんだけれども、僕はオープニングレースの時から現在に至るまで、誰よりも鈴鹿サーキットに通い続けた男ですよ。今でもNSXのオーナーズミーティング等で鈴鹿に行っているし、途中途切れたり、しばらくぶりっていうことがない。だからこそ、鈴鹿サーキットに対する思いや情熱は誰にも負けないぐらいあるんだけど、これから僕らに続いてくる若い人たちにもそういう思いを持ち続けてもらえるようなサーキットであってほしいね。