2022/02/17
小林稔
(日本レース写真家協会 会長)
すぐに思い浮かぶのは、1978年、自動車雑誌カーグラフィックの写真部に入社し、駆け出しだったその年の11月に行われた全日本F2選手権「JAF鈴鹿グランプリ」。当時、鈴鹿サーキットはヨーロッパからドライバー、チームを招聘し、海外との交流を積極的に行っていた。
自分はまだ若く、この世界に入ったばかりだったが、この「黒船来襲」の衝撃は今でも忘れることが出来ないレースである。
鈴鹿サーキット開場60周年、おめでとうございます。
私が所属する日本レース写真家協会では、その年一番のフォトジェニックなドライバーや団体に対し「JRPA AWARD」を送っていますが、2006年に鈴鹿サーキットを選出しました。
その選考理由は、長期にわたってビッグイベントを継続開催し、そのイベントの結果や運営を通じ、観る者すべてに大きな感動を与えてくれたこと。その企業努力と運営姿勢は大きな評価を持って称えられるものです。また、我々取材者に対しても常に協力的で親和的な姿勢を持ち続けたことは感謝の念に堪えません。この選考理由は、今でも会員一同、思いは変わりません。
これからも今まで以上にモータースポーツの聖地として発展し続けて行くことを、心からお祈り申し上げます。