藤井正和

F.C.C. TSR Honda France 総監督 藤井 正和

『鈴鹿サーキットとの縁は、始まりからドラマチックだった』

©TSR_TECHNICAL SPORTS RACING
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俺たちにとって、鈴鹿はいつもエポックな出来事を成し遂げられた場所だ。

なにしろ、Hondaが鈴鹿サーキットをこの地に造るにあたり、先代が生後間もない自分を連れて鈴鹿に越してきてからの縁。始まりからドラマチックだろ?

1984年頃から休眠状態だった会社を叩き起こし、バイクとレースで事業を始めた。1988年には鈴鹿4耐で鈴鹿初優勝。1990年にはロードレース世界選手権(WGP)125ccで上田昇が優勝したことで扉が開いた感じだね。当時は、坂田和人、辻村猛らとWGP参戦を続けながら、毎年鈴鹿4耐、6耐のどれかで勝っていた。でも、8耐では、1998年にスーパーNKクラスでクラス優勝こそしたが、総合では勝てなかった。
2006年鈴鹿8耐

2006年鈴鹿8耐

2006年鈴鹿8耐

2006年鈴鹿8耐

それでも、諦めたらそこで終わり。続けていればこそ結果は残るもので、2003年から4年連続ポールポジション、そして2006年の8耐ではXフォーミュラークラスのCBR1000Rで参戦、辻本猛、伊藤真一で出場して、文字通り完全優勝することができた。8耐は、ライダー、マシン、タイヤ、そして気象条件、全てが揃わないと勝てない。その難しさが面白く、熱くなるよね。信じて続けていれば光が見える。一生懸命やれば、絶対に応援してくれる人がいる。不可能はないと表彰台で叫んだ。それももう15年以上前のことだ。

2011年に秋吉耕佑、伊藤真一、清成龍一、2012年はジョナサン・レイ、秋吉耕佑、岡田忠之と出場して連覇したが、2016年からEWC世界耐久(EWC)を主戦場としてからも、いつも鈴鹿に戻ってくること、戻って日本の皆さんに良い報告をすること、そう、勝つことを考えていた。それが、フレディ・フォーレイ、アラン・テシェ、ジョシュ・フックで参戦した2017-18シーズンのEWC世界チャンピオンにつながった。EWC最終戦が鈴鹿で、年間表彰で表彰台に立って、その報告ができた。

とくに耐久レースでは、鈴鹿を語らずしてTSRも語れないだろう。残念ながらこの2年、鈴鹿でレースをすることが叶わなかった。今年こそは我々を育ててくれたここ"鈴鹿"でレースをしたいと切に願う。

TSRも間もなく創業60周年を迎える。決算で言えば2022年で第60期を迎えているので、すでに鈴鹿サーキットと肩を並べる月日だ。俺自身もすでに齢60を超えた。あと何年活動できるか分からないが、鈴鹿サーキットがある限り、TSRはバイクとレースを続けたいし、続けていってほしい。

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