高橋国光

僕の鈴鹿サーキットとの歴史は、それは長いものがありますね。何しろ僕と鈴鹿サーキットとの付き合いは、サーキットができる前から始まっていますから。1960年にHondaが鈴鹿サーキットの建設を計画したとき、当時Hondaの社員ライダーとして二輪世界グランプリレースに出場していた僕は、会社から命じられてサーキットの建設予定地を視察して意見を述べさせていただいていたんです。日本にはまだ高速道路さえなかったときに、『日本の二輪車・四輪車の技術を世界に負けないものにするんだ』という一途な思いからサーキット建設へと突っ走られた本田宗一郎さんの熱意というものは本当に素晴らしいものだったと改めて思います。
1968年全日本鈴鹿自動車レース
1968年全日本鈴鹿自動車レース
鈴鹿でのレースに僕が初めて出場したのは1963年の秋に行われた二輪の日本GPでした。ただ、このレースは当時の僕にとってはイレギュラーな条件が多くて、あまりいい調子で走ることができなかった。だから、このレースのことはあまり覚えていないんです。そして、僕が鈴鹿で二輪のレースに出たのはそれっきりになりました。
1981年鈴鹿グレート20レーサーズ自動車レース(全日本F2選手権第4戦)
1981年鈴鹿グレート20レーサーズ自動車レース(全日本F2選手権第4戦)
その後、ライダーからドライバーに転身した僕は、ツーリングカーレースやグループC、グループA、フォーミュラ、そしてGTと、いろいろなカテゴリーで本当にたくさんの四輪レースを鈴鹿で走らせてもらいました。走りというものに存分にチャレンジしたい僕にとって、本当に走り応えのある鈴鹿は最高のサーキットですね。
1989年インターナショナル鈴鹿1000kmレース(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)
1989年インターナショナル鈴鹿1000kmレース(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)
僕はレーサーとしてそんなに大した成績を残してきたわけではないんですけど、鈴鹿ではF2000選手権のチャンピオンを獲らせてもらったり(77年)、66年の第1回大会から出場させてもらった鈴鹿1000kmでは4度も優勝させてもらったりしました。グループCの耐久レースでは僕は4回チャンピオンになることができましたけど、その4回目(89年)のタイトルは最終戦だった鈴鹿1000kmで優勝できたことで獲ることができたんです。あれは、ドライバーとして思い切り走ることができた、とても印象深いレースですね。
1998年JGTC Round1
1998年JGTC Round1
60年という鈴鹿サーキットの歴史は、日本のレースの歴史そのものと言ってもいいんじゃないでしょうか。そこで僕がつくづく思うのは、本田宗一郎さんがこのサーキットをHondaの我が物とはせず、すべての自動車メーカーやバイクメーカー、そして全国のモータースポーツ愛好家の皆さんに使っていただけるようにしたことの素晴らしさです。これからも、皆さんに愛される、世界に誇れる鈴鹿サーキットであり続けていただきたいなと思います。

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