渡辺康治

(本田技研工業株式会社 執行職 ブランド・コミュニケーション本部長)

このたびは、鈴鹿サーキット開場60周年を迎えられましたこと、おめでとうございます。

この稿を寄せるにあたって、鈴鹿サーキット開業当初の運営会社である(株)モータースポーツランドの設立の趣旨を説明した当時の社内報を改めて読み返してみましたが、そこには「自動車産業の発展のために」という言葉があります。

今でこそ世界的なレーシングトラックとして名をはせる鈴鹿サーキットとなりましたが、その源流には日本の自動車産業のレベルを世界水準に引き上げるための試金石を設けようという強い思いがありました。

私個人として鈴鹿サーキットの思い出は数々ありますが、中でも、駆け出しの広報マンとして初代NSXに携わったときのものが強く印象に残っています。初代NSXは、鈴鹿で鍛えられ、評価されるというプロセスを経て生まれ育ったクルマです。

まず思い出深いのが、Honda F1活動第2期の最終年であった1992年の日本GP決勝の翌日にフルコースで開催したメディア向けのNSX-Rの試乗会です。

このイベントには前日のレースに出走したアイルトン・セナ選手も参加してくれました。茶色のサングラスと黒いジャケットを身につけて会場に現れたセナ選手からは世界最高のレーシングドライバーとしてのオーラが放たれていて、圧倒されたことがとても印象に残っています。

また、「セナ足」と呼ばれたアクセルワークをはじめとした至高のドライビングテクニックによって引き出されたNSX-Rのパフォーマンスには主催者の立場を忘れて興奮してしまったものです。

その後、私は1994年からの3年間NSXのル・マン24時間耐久レースへのチャレンジにも携わりました。そのプロジェクトの一環で、1994年8月に開催された鈴鹿1000kmに2台のNSXが参戦し、私も鈴鹿サーキットに赴きました。

真夏らしい灼熱の陽射しの中でスタートしたレースでは、6月のル・マンにも参戦した高橋国光選手・土屋圭市選手・飯田章選手組のチームクニミツのNSXがクラス優勝・総合2位という快挙を達成しました。

ル・マンではドライブシャフトなどのトラブルに悩まされ、なんとかチェッカーを受ける苦しい戦いを強いられる様を目の当たりにした私にも我が事のように嬉しいことでした。さらに、レース直後のテレビインタビューで土屋選手が「(今日の勝利は)Honda広報のナベちゃんに誕生日プレゼント」とコメントして下さったのです。

偶然にも私の誕生日に行われたレースでの思いがけない出来事。表彰式の後の花火とともに一生忘れられない思い出です。

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