佐藤恒治

(TOYOTA GAZOO Racing Company President)

鈴鹿サーキットとトヨタの歴史を振り返ると、トヨペットクラウン、トヨペットコロナなどで参戦した1963年の第1回日本グランプリ自動車レースが鈴鹿での初めてのレースでした。1966年には第1回鈴鹿1000kmレースに市販開始前のトヨタ2000GTが参戦、1-2フィニッシュを飾り、後に名車と呼ばれファンに愛されるクルマとしての第一歩を踏み出しました。

2006年には、フォーミュラ・ニッポンにエンジンの供給を開始。鈴鹿で行われた第4戦でブノワ・トレルイエ選手が、第9戦ではアンドレ・ロッテラー選手が優勝を果たすなど、トヨタエンジンを搭載したマシンが初シーズンに鈴鹿で好成績を収めました。

2019年に行われたモースポフェス2019 SUZUKAのオープニングセレモニーでは、当時のHondaの八郷隆弘社長がル・マン優勝マシンCBR1000RRで、トヨタの豊田章男社長がWRCでタイトルを獲得したヤリスWRCで登場し、メーカーの垣根を超えたサプライズに対し、鈴鹿に詰めかけたファンの歓声でサーキットは包まれ、その後もWebやSNSで話題となりました。

そして2021年からスーパー耐久シリーズに水素エンジン車両を投入。カーボンニュートラル実現に向けて選択肢を広げるため、また、モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくりを進めるために、スーパー耐久シリーズ2021 鈴鹿大会においても共に未来を開拓しようと、業界を超えて多くの仲間が集ったことをとても嬉しく思っています。
私自身の鈴鹿での一番の思い出は2002年のF1日本グランプリです。

当時、私は量産車の開発エンジニアでしたが、一人のモータースポーツファンとして、欠かさずF1観戦に通っていました。トヨタF1のチームウェアに身を包んで、ちょっとしたアウェイ感も感じながら…。

2002年は、圧倒的な強さで既にフェラーリのミハエル・シューマッハー選手がチャンピオンを決めていましたが、その走りを鈴鹿で観られるとあって、とても興奮しながら鈴鹿に向かいました。そして、目の前を駆け抜けるシューマッハー選手の圧巻の走りと、メインスタンド前に響き渡るV10サウンドにハートが震えました。

トヨタはアラン・マクニッシュがリタイヤ、ミカ・サロが8位完走を果たしましたが、なんと言ってもこの年のヒーローはジョーダン・ホンダの佐藤琢磨選手の5位初入賞でした。日本人ドライバーが世界の舞台で闘う姿に熱くなり、サーキット中のファンがひとつになって応援した感動をいまも鮮明に覚えています。

テクニカルでドライバーのアスリートとしての真剣勝負が観られる。鈴鹿はそんな魅力がある特別な場所であると思います。モータースポーツの本質的な価値を提供し続けるからこそ、多くのファンやドライバーたちを魅了し続けています。TOYOTA GAZOO Racingを担当する今も、2002年の鈴鹿での体験が、モータースポーツをサステイナブルなものにしていきたいという意志や行動の原動力となっています。

ありがとう、鈴鹿。60周年、おめでとうございます。

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