2022/02/17
高橋二朗
(JMS日本モータースポーツ記者会 会長)
ヨーロッパ、オランダの北海沿岸にあるザントフォールトサーキットのピットにいた。シーズン前、海からの風が肌に刺さるような寒さだった。レイトンハウスF1のプライベートテストの取材で当地を訪れていた。
テストのスタッフ、サーキットの職員以外、われわれしかいないと思っていたら、ラム皮のコートを着た口髭を蓄えた痩身の老人が近づいてきて「日本人かな?」と尋ねてきた。「そうです」と答えると。「ノートとペンを貸してくれ」と。
そしてボクのノートにゆっくりと何かを書き始めた。そこには、まるで幼児が落書きしたような、小さな文字らしきものが書かれていた。それがカタカナで【ジョンフーゲンホルツ】と書かれていたのが分かるまでに数秒要した。そして、それが分かってハッとした表情のボクに老人が微笑み、多くを語らず、手を振って去っていった。
桂木洋二:編、企画/編集:GP企画センター、発売元:株式会社山海堂の【日本モーターレース史】に1960年から1962年までのコースデザインの経過が掲載されている。5回目(最終)のデザイン変更が行われたのが1月15日。そして完成式が9月20日と記されている。三重県鈴鹿市稲生町の松林の丘陵地帯で行われた突貫工事によって国内初、6,004mのパーマネント・レーシング・サーキットが誕生した。
鈴鹿サーキット60周年おめでとうございます。これからも宜しくお願い申し上げます。