2026/05/11
世界へ羽ばたいていった日本のトップフォーミュラ大物卒業生たち
現在のF1グリッドにも、日本のトップフォーミュラを経験して世界へ羽ばたいたドライバーがいます。ピエール・ガスリー(BWT Alpine Formula One Team)は、2017年にTEAM MUGENからスーパーフォーミュラに参戦。シーズン終盤までタイトルを争い、シリーズランキング2位という成績を残しました。
さらに、リアム・ローソン(Racing Bulls)も、2023年にTEAM MUGENからスーパーフォーミュラに参戦し、来日初年度ながらチャンピオン争いを展開。シリーズランキング2位となり、その後F1の舞台へと活躍の場を広げています。
スーパーフォーミュラ、そしてその前身であるフォーミュラ・ニッポンや全日本F3000(1987〜1995年に開催された国内トップフォーミュラ)の時代を含めると、この日本のトップフォーミュラカテゴリーから海外の世界選手権で成功を収めたドライバーは非常に多く存在します。ここでは、その中でも特に名の知れたドライバーたちと、日本で磨かれた才能が世界へ羽ばたいていった軌跡をご紹介します。
ピエール・ガスリー(現BWT Alpine Formula One Team)2017年当時
ピエール・ガスリー(現BWT Alpine Formula One Team)2017年当時
リアム・ローソン(現Racing Bulls)2023年当時
リアム・ローソン(現Racing Bulls)2023年当時
まず名前が挙がるのは、やはりドイツ出身のミハエル・シューマッハーでしょう。1990年にF3マカオGPを制したのち、F1デビューへの準備を進めていた最中、ミハエルは1991年の第6戦SUGOにスポット参戦(単発での出場)。
同じく参戦していた星野一義が驚くほどの走りで、2位でチェッカーを受けています。ミハエルはその直後、F1デビューを果たしてデビューイヤーで入賞、その後はドイツ人初のF1チャンピオンに輝き、計7度、タイトルを獲得する伝説的存在となりました。
ミハエルが日本で走行していた前後には、1990年にはジョニー・ハーバート(イギリス)、1991年にエディ・アーバイン(イギリス)、ミカ・サロ(フィンランド)、1992年にハインツ-ハラルド・フレンツェン(ドイツ)など、その後F1で活躍したドライバーたちが次々と来日する、まさに群雄割拠の時代となりました。
ジョニー・ハーバート
エディ・アーバイン
ミカ・サロ
ハインツ-ハラルド・フレンツェン
ハインツ-ハラルド・フレンツェン
その後も海外からの有力ドライバーの来日は続き、フォーミュラ・ニッポンとカテゴリー名が変わった1996年にはミハエルの実弟、ラルフ・シューマッハーがチーム・ルマンから参戦。メインスポンサーが『X JAPAN』という、当時の大人気ロックバンドだったことから大きな話題となり、レースでもしっかりと結果を残してチャンピオンを獲得しました。その後、F1へステップアップしていきました。
ラルフ・シューマッハー
ラルフ・シューマッハー
他にもペドロ・デ・ラ・ロサ(スペイン)が1997年に全戦表彰台を獲得するというパフォーマンスでチャンピオンに輝き、F1にステップアップ。1999年にフォーミュラ・ニッポンのチャンピオンとなったトム・コロネル(オランダ)はその後、世界のスポーツカー選手権、ツーリングカーで名を馳せました。
ペドロ・デ・ラ・ロサ
トム・コロネル
2000年に入ってからは、ブノワ・トレルイエ(フランス/2006年チャンピオン)、ロイック・デュバル(フランス/2009年チャンピオン)、アンドレ・ロッテラー(ドイツ/2011年チャンピオン)らがフォーミュラ・ニッポンで活躍し、その後、アウディでル・マン24時間/WEC(FIA世界耐久選手権)で世界のトップに立つ活躍を見せました。
ブノワ・トレルイエ
ブノワ・トレルイエ
ブノワ・トレルイエ
ブノワ・トレルイエ
ブノワ・トレルイエ
ロイック・デュバル
ロイック・デュバル
ロイック・デュバル
ロイック・デュバル
ロイック・デュバル
アンドレ・ロッテラー
アンドレ・ロッテラー
アンドレ・ロッテラー
アンドレ・ロッテラー
また、2019年にスーパーフォーミュラに参戦したアレックス・パロウ(スペイン)は日本ではタイトル獲得は叶わなかったものの、その後、アメリカに渡り、インディカー・シリーズで4度のチャンピオンに輝き、世界のトップドライバーの仲間入りを果たしました。
アレックス・パロウ
アレックス・パロウ
日本のトップフォーミュラ出身ドライバーはヨーロッパ、アメリカと世界を問わず、大きく羽ばたいています。