鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
2002年
鈴鹿サーキット中のファンが一体に!佐藤琢磨一色に沸いた2002年F1日本グランプリ

Hondaのスタッフとレース後に喜びを分かち合う琢磨

Hondaのスタッフとレース後に喜びを分かち合う琢磨

フェラーリとミハエル・シューマッハコンビの黄金時代が成熟した2002年は、フェラーリが全17戦中15勝を記録、シューマッハは11勝で全戦表彰台をいう圧倒的な強さを見せたシーズンだった。最終戦日本グランプリもシューマッハが5年連続となるポール・ポジションを獲得し、決勝レースも余裕の展開でチームメイトのルーベンス・バリチェロとともに3位以下を引き離し、1-2フィニッシュを飾った。そのシューマッハが決勝レース後に語った。「今日の優勝者は2人いる。僕とタクマだ」。この年にジョーダンHondaからF1にデビューした佐藤琢磨が日本グランプリで自身初となる5位入賞を果たし、シューマッハはその活躍を称えたのだった。
1987年の鈴鹿F1日本グランプリを見てレースの世界に憧れた琢磨だったが、19歳までは自転車競技に身を置いていた。多くのトップドライバーが、遅くとも10代前半からレーシングカートのキャリアをスタートさせる中、琢磨がカートを始めたのは大学生になってからだ。そしてほとんどレース経験がないまま97年にSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール フォーミュラ)を受講し首席で卒業。98年に全日本F3にレースデビューするとすぐにイギリスに渡り、2001年に日本人初のイギリスF3チャンピオンを獲得。国際大会のマルボロマスターズ、マカオGPも制し2002年にジョーダンHondaからF1デビューと、レースデビューからわずか4年でF1のシートを獲得した。
デビューシーズンはトラブルやアクシデントでノーポイントのレースが続いたが、琢磨の走りをひと目見ようと多くのファンが日本グランプリに集まった。きっとここで見せてくれるはずだと、ファンは琢磨の活躍を信じて応援した。琢磨はその応援に応え、トラブルでフリー走行をほとんど走れないという逆境をはねのけ、予選は好タイムを連発。最終的に自己最高位の7番グリッドを獲得した。
15万人のファンが見守る中、決勝レースが行われた
15万人のファンが見守る中、
決勝レースが行われた
決勝レースを快走する琢磨
決勝レースを快走する琢磨
琢磨に大声援を送るファン
琢磨に大声援を送るファン
決勝日の鈴鹿サーキットは朝から琢磨一色に染まり、琢磨がコースインするとそれとともに大声援がサーキットを包んだ。決勝レーススタートの瞬間、緊張の一瞬だ。20台のマシンが一丸となって1コーナーを駆け抜ける。フェラーリコンビがトップだ。琢磨は順位をキープしたまま1コーナーに飛び込んだ。
1回目のピットインで順位を落としたが琢磨は諦めなかった。ジェンソン・バトン(ルノー)、ヤルノ・トゥルーリ(ルノー)らとのバトルを制し、レース終盤には5位に浮上。これに鈴鹿サーキットを埋め尽くした15万人のファンは大興奮。琢磨の走りに合わせ大声援がサーキットを1周するほど、サーキット中のファンが一体となった。「みんなが応援してくれているのが見えた」とレース後語った琢磨は、渾身の走りを見せ5位を守ってチェッカー。世界のトップドライバー達と対等に渡り合い、鈴鹿で自身初入賞を決めた走りは今でも語り継がれるほど、多くのファンを熱狂させた。その熱狂はパルクフェルメに戻りマシンから降りると頂点に達し、地響きがするほどの歓声が琢磨に送られたのだった。
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