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The heroic episode of Kevin Vol.2

ケビン・シュワンツが記したロードレースへのすごすぎる第一歩

1988年、デイトナでのレースを走るシュワンツ

1988年、デイトナでのレースを走るシュワンツ

1987年には世界グランプリ500ccクラスにスポット参戦

1987年には世界グランプリ500ccクラスにスポット参戦

※このコンテンツは、2013年に鈴鹿8耐サイトで公開された内容です。

「僕の母と叔父がヤマハのバイクとモーターボートを扱うお店を経営していたから、子供の頃からバイクに親しむ機会がたくさんあったんだ」とケビン・シュワンツ。叔父はダートトラックやショートトラックで活躍するプロライダーで、父はトライアルの大会に出場していた。こうしたことから、シュワンツは幼い頃からトライアル、ダートトラックのレースに親しんでいた。その後、ロードレースに転向してアマチュアレースを戦っていたとき、アメリカでヨシムラのオーディションがあることを知らされる。

「僕は、ヨシムラのマシンを走らせたと、仲間に自慢できるくらいにしか考えていなかったんだ」と振り返るシュワンツだが、ヨシムラスタッフが視察に来るウイロースプリングのレースでは、初めて跨がるヨシムラのレーシングマシンで、なんと当時のエースライダーだったウエス・クーリーのラップタイムを上回ってしまったのだ。あってはならない事実に、ヨシムラがシュワンツとの契約を決めたことは言うまでもない。

ヨシムラの一員となったシュワンツの、1985年の最初のレースはデイトナで、フレディ・スペンサー、フレッド・マーケルに次ぐ予選3番手と早くもその才能を発揮。決勝はマシントラブルで結果は残せなかったが、この年の鈴鹿8耐にグレーム・クロスビーとのペアで初参戦して3位を獲得するなど、勢いは止まらない。そして1986年にシュワンツは、イギリスでの英米マッチレースに出場すると、その走りがバリー・シーンの目にとまり、このシーンの仲介で、1987年にはヘロンスズキから世界グランプリ500ccクラスに、スポット参戦という形でデビューを果たすのである。

1987年、ポテンシャルが大幅向上したヨシムラスズキGSX750Rで、AMAスーパーバイクのシリーズ後半戦では5勝を収める大活躍。タイトルは、コンスタントにポイントを積み重ねたウェイン・レイニーのものとなるが、シュワンツはヨシムラのライダーとして、3年目にしてアメリカのトップライダーの仲間入りをはたし、この成績が認められて、1988年からは世界グランプリの500ccクラスにスズキのエースとして参戦を開始。そして、その開幕戦である鈴鹿サーキットでの日本グランプリで、フル参戦のルーキーが初優勝を遂げたことは、誰もが知る事実である。

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