鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
2011年
世界と日本の気持ちがひとつになった2011年日本グランプリ。
バトンが悲願の鈴鹿初優勝!

悲願の鈴鹿初優勝を勝ち取ったバトン

悲願の鈴鹿初優勝を勝ち取ったバトン

2011年シーズンは、前年、初のドライバーズチャンピオンに輝いたセバスチャン・ベッテル(レッドブル)が開幕戦からライバルを圧倒。9勝を記録し、ランキングトップで鈴鹿に乗り込んできた。これを追うのが2勝のジェンソン・バトン(マクラーレン)だったが、ポイント差は大きく開いており、2年連続ベッテルのタイトル獲得は確実な状況だった。
バトン自身もそれは分かっていたが、鈴鹿には特別な思い入れがあった。長年Hondaのエースとして活躍してきたバトンだったが、Hondaの母国グランプリ鈴鹿での勝利はなかったのだ。レースウィークの木曜日記者会見で「鈴鹿はスパ・フランコルシャン(ベルギー)、モナコと並んで、すばらしいサーキット。ここでタイムを出すためには、一時も気を抜くことができない。だから他の誰よりも速く走れた時の喜びは格別なんだ。」とバトン。「なんとしても鈴鹿で勝ちたい」という気持ちがひしひしと伝わる内容だった。
この年、日本は3月11日に東北地方を中心とした大震災に見舞われていた。F1界はすぐに反応し、関係者やドライバー達は日本に向け多くのメッセージと支援を送った。日本グランプリでも様々な支援、応援が行われ、日本グランプリに訪れたファンも感謝の気持ちを横断幕で表現するなど、愛に包まれ、世界と日本の気持ちが一つになる、特別なレースとなった。
バトンは「僕たちは日本の人たちがいかに強いかを知ったよ。特に、困難に面した時のたくましさはすばらしいと思った。だから僕たちも色々なことを見習えると思うんだ。みんなで出来るだけ努力して助けあえるといいね。僕たちもできる限りのベストを尽くしたい。」と語った。2011年に鈴鹿で勝つことは、バトンにとって大きな意味を持つものだったのだ。
この思いはフリー走行からさく裂し、3回のフリー走行セッションすべてをトップタイムで終えた。しかし予選が始まると苦戦、Q1は小林可夢偉(ザウバー)が、Q2はルイス・ハミルトン(マクラーレン)がトップタイム。そして上位10台でポール・ポジションを掛けてタイムアタックするQ3では、ベッテルがセッション終了間際にトップタイムを記録。バトンは直後に気迫の走りでそのタイムを追ったが0.009秒およばず、2番グリッドとなった。
バトン(左)はスタートでダートに足を取られ3位に後退
バトン(左)はスタートでダートに
足を取られ3位に後退
バトンを先頭に、ベッテル、アロンソがトップ争いを繰り広げた
バトンを先頭に、ベッテル、アロンソが
トップ争いを繰り広げた
バトンは決勝スタートでベッテルに並びかけるもダートに足を取られ3位に後退。しかし鈴鹿優勝の気持ちは少しも揺るがなかった。8周目に2位に浮上すると、同じ周に3位に上がったフェラーリのフェルナンド・アロンソを加えた3台のバトルが始まった。レース中盤ついにベッテルをとらえてバトンがトップに浮上。だが後半に入って2位に浮上したアロンソがじわじわと差を詰めてきた。逃げるバトン、追うアロンソとベッテル。終盤10周以上も続いたこの攻防を制してバトンは優勝した。
日本にとって大きな意味を持つことになった2011年のF1日本グランプリで、チャンピオン経験者3人がくり広げた息詰まる攻防戦は今も語り継がれている。そして悲願の鈴鹿優勝を飾ったバトンと、すばらしい決勝レースを演出したドライバー、チーム、関係者に向け、スタンドからは惜しみない拍手がいつまでも送られていた。
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