鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
2001年
誰も追いつけない。王者シューマッハが圧倒的な速さで鈴鹿を駆け抜けた!

王者の風格を見せつける走りで優勝したシューマッハ(中央)

王者の風格を見せつける走りで優勝したシューマッハ(中央)

1994年・95年とベネトン・ルノーで連続チャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハは、96年念願だったフェラーリ移籍を実現すると2000年に年間8勝を記録。自身3度目、同時に低迷していたフェラーリに1979年以来21年ぶりのタイトルをもたらし、ここからシューマッハ&フェラーリのF1史上最強タッグが幕を開けた。
2001年は開幕から圧倒的な強さを見せ、最終戦(第17戦)の日本グランプリまでに8勝を記録して早々に自身4度目のチャンピオンを決めていた。フェラーリもコンストラクターズチャンピオンを決めており、シューマッハが鈴鹿で狙っていたのは王者の走り、他を寄せ付けない速さを日本のファン、世界のファンに見せつけることだった。

シューマッハの走り

シューマッハの走り

シューマッハは静かに、そして確実にそれを実行した。フリー走行で他のドライバーが好タイムを記録しても全く動じることなくマシンの調整を続けると、迎えた予選でアタックのたびに大きくタイムアップ。最終的に1分32秒484の驚異的なタイムをたたき出したのだ。前年に自身が記録したポールタイムを一気に3秒341も短縮。91年にマクラーレンHondaのゲルハルト・ベルガーが記録したコースレコードを2秒216も上回るものだった。
この速さは決勝でも変わることはなかった。予選では2位のファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズ・BMW)に0.7秒もの差をつけており、気をつけるのはスタートミスだけだ。過去3年、スタートをうまく決められなかったが、最強のドライバーとして鈴鹿に戻ってきたシューマッハにとって、それは過去の話。終始余裕を見せるシューマッハがミスを犯すはずもなく、トップのまま第1コーナーに飛び込むと、1周目に早くも3秒6もの大差をつけて2位以下を引き離したのだ。もう誰も追いつけない。レース中盤はペースを落としてマシン、タイヤをいたわる余裕さえ見せて、この年9勝目、日本グランプリ2年連続ポール・トゥ・フィニッシュとなるゴールを駆け抜けた。シューマッハが王者の風格、速さ、強さを強烈に見せつけたこの走りは、今でも語り継がれている。
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