鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
1990年Vol.1
鈴木亜久里、母国グランプリで日本人初表彰台への激走!

母国で日本人初の3位表彰台に登った亜久里

母国で日本人初の3位表彰台に登った亜久里

1988年のF1日本グランプリで、体調不良のドライバーの代役としてラルースから急きょF1デビューを果たした鈴木亜久里。その時は予選20位から16位完走と、デビュー戦としてはまずまずの成績を収めた。翌年はザクスピードのレギュラードライバーとしてフル参戦を果たすが、戦闘力に劣るマシンに手こずり、一度も決勝に進出することなくシーズンを終えた。1990年は心機一転、ラルースに移籍すると実力を発揮。第8戦イギリスグランプリで自身初の6位入賞を経験、さらには第14戦スペイングランプリでも6位入賞を果たすなど、絶好調で第15戦日本グランプリを迎えた。
予選を10位で終え、予選4位のジャン・アレジ(ティレル)が体を痛め決勝に出場しなかったため、9番グリッドからのスタートとなった亜久里。決勝レースでは、第1コーナー手前でダートに片輪を落としながらも豪快にオーバーテイクを決めるなど、多くの見せ場を作った。徐々に順位を上げ、35周目には3位浮上。サーキット中が興奮の渦に包まれた。日本人初表彰台をこの目で見ることができるかもしれない。ファンは亜久里に大きな声援を送った。その声援に応えるかのように亜久里は激走。ファステストラップを連発しながら後ろから迫るマシンを振り切った。
ファイナルラップ、最終コーナーから亜久里が姿を見せると、サーキット中が大声援に包まれた。誰もが願った日本人初表彰台がファンの目の前で達成されたのだ。今でも語り継がれる亜久里の激走、そして日本人初表彰台。F1界での日本の地位を、確固たるものとした瞬間でもあった。
走行前に緊張の表情を見せる亜久里
走行前に緊張の表情を見せる亜久里
亜久里の激走に声援を送るファン
亜久里の激走に声援を送るファン
シケインを攻める亜久里
シケインを攻める亜久里
1990年Vol.2
わずか数100mのチャンピオン決定戦。セナ・プロ対決は2年連続で接触により決着

アイルトン・セナ(左)・アラン・プロスト(右)

アイルトン・セナ(左)・アラン・プロスト(右)

アイルトン・セナのチームメイトとして戦う事を嫌ったアラン・プロストはフェラーリに移籍。2人はマクラーレンのエース、フェラーリのエースという立場で1990年シーズンを戦った。そして過去2年と同じく、チャンピオンタイトル争いはセナとプロストの2人に絞られた状態で、第15戦日本グランプリを迎えた。今回はセナがポイントリーダー。プロストが最終戦に望みを繋ぐためには、鈴鹿で優勝する必要があった。
予選はセナが制し、プロストは2番手につけた。日本グランプリ3度目のフロントロー対決だ。88年はPP(ポール・ポジション)のセナがエンジンストール。89年は同じくPPからスタートしたセナよりもプロストの加速の方が伸びた。今回はなんとかスタートを決めてトップに立ちたい。セナはレコードラインから外れ汚れているイン側に位置するPPの場所変更を運営に訴えたが、却下された。
過去最高、141,000人のファンが見守る中、決勝レースがスタート。セナはやはり加速が鈍り、アウト側のプロストが先行した。追いすがるセナ。抜き返そうとしたが並びきれない。セナのマシンが車体半分プロストのマシンのイン側に並んだ状態で、2台は第1コーナーにアプローチしていった。その瞬間スタンドの声援は悲鳴に変わった。接触だ。プロストとセナはもつれ合いながらコースアウト。タイヤバリアに当り、ともにリタイヤとなった。
これでセナのチャンピオンが決定。今でも語り継がれる90年のチャンピオン決定戦は、スタートからわずか数100mで決着がつくという、前代未聞の幕切れとなった。88年に始まり、90年にクライマックスを迎えたセナ・プロ対決はこれでいったん休止。翌91年はフェラーリが不調、92年はプロストが1年参戦を見合わせ、ウィリアムズドライバーとしてプロストが復帰した93年まで2人の直接対決は持ち越された。
PPを獲得したセナの走り
PPを獲得したセナの走り
予選2番手を獲得したプロストの走り
予選2番手を獲得したプロストの走り
2番手スタートからトップに躍り出たプロストと追いすがるセナ。このあと2台は接触
2番手スタートからトップに躍り出た
プロストと追いすがるセナ。このあと2台は接触
※内容は予告なく変更となる場合がございます。
※使用している写真・イラストはイメージです。