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F1日本グランプリレースレポート
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F1日本グランプリレースレポート
1987年Vol.1
日本人初のF1フル参戦ドライバー中嶋悟凱旋。母国の応援を背に6位入賞!
S字を駆け抜ける中嶋悟
観客席を埋め尽くすファンと中嶋応援横断幕
星野一義とともに1980年代の国内フォーミュラの一時代を築いてきた中嶋悟が、1987年に日本人として初めてF1にフル参戦を果たした。チームはこの年からHondaエンジンを搭載したロータスで、チームメイトはアイルトン・セナ。中嶋は開幕戦を7位でフィニッシュすると、第2戦で早くも6位入賞。第3戦で5位、第7戦で4位に入賞する活躍を見せた。凱旋レースとなる第15戦F1日本グランプリの会場には中嶋を応援する横断幕が多数掲げられ、中嶋がコースインすると応援フラッグがサーキットを埋め尽くすほどだった。「当時は『いつものレースと何も変わらずベストを尽くすだけ』と言っていたけど、やっぱり日本グランプリは感慨深いものがあったよ。ファンの応援が何か不思議な力を僕に与えてくれたんだ」とのちに語った中嶋。初めてのコースをすぐに攻略するライバルたちに驚きながらも、予選を自己最高タイの12番手で終え、ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)の欠場から、自己最高の11番グリッドから決勝レースを迎えた。
決勝スタートを待つ中嶋
好スタートを決め第1コーナーにアプローチする中嶋(黄色のマシン)
決勝がスタートすると、前方でストールしたマシンをうまくかわしジャンプアップ。第1コーナーで、インを閉める前のマシンをものともせず、アウトから一気に抜き去る「大外刈り」と呼ばれたオーバーテイクも披露し、一時は6つ順位を上げ5位を走る場面もあった。しかし大混戦の中で戦った中嶋は終盤7位に順位を落としていた。ファンもチームも、そして中嶋自身もが願った「母国グランプリでの入賞」。あとひとつ順位を上げなければその願いは叶わない。しかし残り2周となったところで前のマシンがスローダウン。その横を難なくすり抜けた中嶋は見事6位でチェッカーを受けた。中嶋のチェッカーとともにグランドスタンドは大歓声に包まれ、ウィニングランでは中嶋とともにスタンディングオベーションがサーキットを1周。文字通りファンとともに駆け抜けた中嶋初の母国グランプリだった。
1987年Vol.2
マンセル、ピケのタイトル争い。鈴鹿初代ウィナーとなったベルガー。そしてプロスト、セナ。豪華メンバーの競演に沸いた鈴鹿F1初開催の1987年
決勝レーススタートの瞬間
この鈴鹿での戦いを含めて残りは2戦、マンセルがタイトルを獲得するためには2連勝することが条件だったが、なんと予選でクラッシュ。決勝を欠場することになり、これでピケのワールドチャンピオンが決定した。予選を制したのはフェラーリのゲルハルト・ベルガー。予選1回目でピケに続く2番手タイムを記録すると、予選2回目で真っ先にコースインし周回ごとにタイムアップ。この年不調だったフェラーリのマシンで、見事ポール・ポジションを獲得した。
ピットからコースへ向かうマンセル
チャンピオン争いをしたウィリアムズの2人。ピケ(左)とマンセル
ピケの走り
決勝レースがスタートすると、ベルガーがトップをキープして第1コーナーへ。2番グリッドのアラン・プロスト(マクラーレン)、3番グリッドのティエリー・ブーツェン(ベネトン・フォード)がそれに続いたが、4番グリッドのミケーレ・アルボレート(フェラーリ)がスタートできず後方は大混乱。さらにはプロストもスローパンクチャーで最後尾まで順位を落とし、17秒もの大差をつけトップチェッカーを受けた。ベルガーは鈴鹿初代ウィナーとなり、さらには85年第9戦ドイツグランプリ以来、2年ぶりの優勝をフェラーリにプレゼントするという、偉大な勝利を鈴鹿F1日本グランプリで勝ち取ったのだった。
トップを快走するベルガー
アラン・プロスト
コックピットでコースインを待つピケ
2位に入ったのは中嶋のチームメイト、セナ。7番グリッドからスタートした決勝はスタートで4位に順位を上げ、プロストの脱落で3位へ。ブーツェン、ピケ、ステファン・ヨハンソン(マクラーレン)らとバトルを繰り広げ一時2位に浮上。レース終盤はヨハンソンに先に行かれ3位を走行していたが、ファイナルラップで見事オーバーテイクを決め、テール・トゥ・ノーズながらも2位表彰台を獲得した。その後「鈴鹿マイスター」と呼ばれるようになったセナの歴史が、ここから始まった。
ピケを抑えて走るセナ
決勝スタートを待つセナ
表彰台のひとこま。
ベルガー(左)とセナ
※内容は予告なく変更となる場合がございます。
※使用している写真・イラストはイメージです。