“グループC”とは?第4回 「今に続くグループCのDNA」

1993年 WECレースシーン(Photo:三栄)
1993年 WECレースシーン(Photo:三栄)
 1982年に動き出し、大いに活況を呈したグループCの時代も1992年頃に陰りが出始め、急速に世界各国のレースで参加台数が減少。1993年にはFIAスポーツカー世界選手権が開催されず、北米ではIMSA GT選手権から IMSA GTPカテゴリーが消滅し、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権も催されなくなった。こうしてひとつの時代が終わり、代わって世界各地で盛り上がりを見せるようになったのがGTカーレースだ。

 欧州では新たに誕生したBPRシリーズが隆盛を極め、後にFIA GT選手権へと生まれ変わる。日本でも1994年に本格スタートしたJGTC(全日本GT選手権)が年を追うごとに人気を高め、IMSA GT選手権ではGTカーのニッサン300ZXが1994年のデイトナ24時間で総合優勝するなど大活躍し、選手権を盛り上げた。 
 
 そんな中、同じ1994年夏の鈴鹿1000キロ、「JAFトロフィー インターナショナルポッカ1000km耐久レース」(8月27、28日)にはBPRオーガニゼーションとのタイアップで欧州から約30台ものGTカーが鈴鹿サーキットにやって来て国内のGTファンを魅了した。 
BPR GT時代、1996年の「ポッカインターナショナル1000km耐久レース」
BPR GT時代、1996年の「ポッカインターナショナル1000km耐久レース」
 しかしその一方で、耐久レースの世界最高峰、ル・マン24時間では1993年もプジョーとトヨタのグループCカー対決に沸き、翌1994年にも大きなハンディを課されながらもグループCカーの参加が認められた。また、米国のIMSAは新たなスポーツプロトタイプカーのカテゴリーを創設。オープン2シーターのIMSAワールドスポーツカー(WSC)は、IMSA GTPに代わって1994年には選手権のトップカテゴリーとなった。 
 
 その車両はル・マン24時間を運営するフランスの西部自動車クラブ(Automobile Club de l’Ouest: ACO)とIMSAの合意により、ル・マン24時間にも参加。さらに同規定をベースとしたACO規定で製作された車両も次第に増えて、ル・マン24時間はGTカーとオープン2シーターのプロトタイプカーが覇を競う時代に入った。 
1996年ル・マン24時間レース(Photo:三栄)
1996年ル・マン24時間レース(Photo:三栄)
 ちなみに、1995年のル・マン24時間ではWSCのクラージュC34(B・ウォレク/E・エラリー/M・アンドレッティ)を下したGTカー、マクラーレンF1GTR(Y・ダルマス/ JJレトー/関谷正徳)が総合優勝を果たし、関谷正徳は日本人初のル・マン24時間総合優勝ドライバーとなった。 

 そして1995年の「ポッカインターナショナル1000Km耐久レース」(8月26、27日)は、同年のル・マン24時間を再現するかのように、オープン2シーターのプロトとGTが優勝を争うレースとなった。ここでもR.ベルム/ M-Sサラ/関谷 正徳組のマクラーレンF1GTRが総合優勝した。 
1997年ル・マン24時間レース(Photo:三栄)
1997年ル・マン24時間レース(Photo:三栄)
 欧州では1997年にオープン2シーターのスポーツプロトタイプカーのためのシリーズ戦がスタートし、2001年からはFIAスポーツカー選手権として運営されることになる。ここではJ・ニールセン選手と共に童夢S101を駆った加藤寛規選手が大活躍し、シリーズランキング2位に入っている。 

 IMSA GT選手権ではWSC規定の新たなマシンも誕生して活況を呈すが、1998年を最後に同選手権は終了。翌年からアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)に生まれ変わった。 
2015年 WEC開幕戦 シルバーストーン6時間レース(Photo:FIA WEC)
2015年 WEC開幕戦 シルバーストーン6時間レース(Photo:FIA WEC)
 一方、ル・マン24時間ではオープントップのプロトタイプカーと争うGTカテゴリーの上級クラス、LMGT1に、ルールには合致しているものの、グランドツーリングカーの概念からはかけ離れた車両が現れるようになった。ホモロゲーション取得のためのロードゴーイングカーも、「あれがパリのシャンゼリゼ通りを走る姿は想像できない」とACO幹部に言わしめるほどになったため、LMGT1は1999年からプロトタイプカーの規定、LMGTPへと移行した。 

 こうしてル・マン24時間ではLMPとLMGTPという、オープンとクローズドのプロトタイプカーが総合優勝を争う時代に入り、その後プロトタイプカテゴリーはかつてのグループCカーを彷彿とさせるシルエットを持つクローズドカーに一本化され、現在に至っている。 
 
 ACOの車両規定で運営されるALMSはその後、北米でスポーツプロトタイプカーとGTカーの混走による同様のレースシリーズとして運営されていたグランダムシリーズと統合。2014年からはUnited Sports Car Championship(USCC)として組織されるようになった。現在はスポンサー名を冠したウエザーテックスポーツカー選手権として開催されている。 
 
 2004年にはヨーロピアン・ル・マン・シリーズが、その後にはアジアン・ル・マン・シリーズもスタートし、プロトタイプカーとGTカーで構成されるACO規定によるレースシリーズが世界3大陸で行われるようになった。 

 そして2012年、ACOとFIAが手を組み、現行のFIA世界耐久選手権(WEC)がスタートする。それまで欧州、米国、アジアで開催されていたル・マン・シリーズをもとにしているため、車両規定はACOの規定がそのまま採用された。日本は初年度から開催地となっており、1992年を最後に遠ざかっていた、スポーツプロトタイプカーの世界選手権レースが富士スピードウェイを舞台に復活することとなった。 
2016年 WEC第4戦 ニュルブルクリンク6時間レース(Photo:FIA WEC)
2016年 WEC第4戦 ニュルブルクリンク6時間レース(Photo:FIA WEC)
 WECは現在、ハイパーカーとLMP2というプロトタイプカー2クラス、そしてLMGTE ProとLMGTE AmのGTカー2クラスの計4クラスで争われている。WEC最上級カテゴリーのハイパーカークラスは、Le Mans Hypercar (LMH)規定に則った車両のためのクラスで、現在トヨタ、プジョー、グリッケンハウス、アルピーヌ(移行期間の特別措置で非ハイブリッドのLMP1車両で参戦)が競っている他、フェラーリがマシンを開発中で2023年からの参戦を予定している。

 一方、来年から北米ウエザーテックスポーツカー選手権のトップカテゴリーとなるLe Mans Deytona h (LMDh)規定の車両がACO、FIA、そしてIMSAの合意により、WECのハイパーカークラスにも参加可能となったことから、ポルシェ、BMW、キャデラック、アキュラ、ランボルギーニ、アルピーヌ等、多くのマニュファクチャラーが関心を示し、LMDhへの参入を発表している。 
WECハイパーカークラスに参戦するトヨタ・GR010 HYBRID(2021年〜) (Photo:TOYOTA)
WECハイパーカークラスに参戦するトヨタ・GR010 HYBRID(2021年〜) (Photo:TOYOTA)
 ところで、スポーツカープロトタイプカーによる耐久レースには長い歴史があり、1949年に第二次世界大戦後初めて開催されたル・マン24時間では車両規定に「プロトタイプ」が明記され、1953年には世界選手権も初開催されている。この年はセブリング12時間、ミッレ・ミリア、ル・マン24時間、スパ・フランコルシャン24時間など全7戦が催されてフェラーリ、ジャガー、そしてアストンマーチンがタイトル争いを展開。フェラーリが王座に就いている。 
その後も選手権の名称や車両規定が変遷をたどり、シリーズ自体の盛衰もありながらもスポーツプロトタイプカーのレースは続いてきた。 

 「レースは走る実験室」。これは本田技研工業の創業者、故本田宗一郎氏が遺したことばとして広く知られている。一方、ACOは常々、ル・マン24時間は「先進テクノロジーを試す場」であると表明している。実際、これまでプロトタイプカーによって様々な技術が試され、量産車に活かされて来た。ACOは現在、Green GTと共同で水素燃料電池車の研究・開発を進めており、"Mission24H"と称するこのプロジェクトは、2025年にハイパーカーと競争できる水素燃料電池車のクラスを設けることを目指している。

 そもそもPrototype Carとは試作車を意味する。また、「レースにおいて、GTカーなどの量産車はその車両のアピールができるが、プロトタイプカーはメーカーそのものをアピールすることができる」。かつてそう語ったACO幹部がいた。

 グループC時代の10年間は、スポーツプロトタイプカーの長い歴史の中の1ページに過ぎない。しかし、そこで培われたノウハウや知見は、マシンを製作するマニュファクチャラー、チーム、そしてレース運営に携わる組織で現在も活かされているに違いない。 

鈴鹿サーキット60周年 特別デモラン&展示 『グループC 〜夏の鈴鹿耐久決戦〜』

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