SUZUKA Sound of ENGINE 2018

Legend of Formula 1

Legend of Formula 1

  • 1967
    COOPER MASERATI T86

    COOPER MASERATI T86

     それまではプライベートチームにシャシーを供給していたクーパーが、1955年から本格的にF1に参戦を開始。1957年はエンジンをドライバーの後方に搭載するマシンを投入。このミッドシップレイアウトはその後F1の主流となった。1959年・60年にドライバーズ、コンストラクターズ(製造者)のダブルタイトルを獲得。1966年からマセラティのV12エンジンを搭載し、1967年はヨッヘン・リント、ペドロ・ロドリゲスがステラリングを握り活躍した。

  • 1970
    Lotus 72C

    Lotus 72C

     ロータスが1970年にデビューさせたF1マシン。当時フロントに配置されていたラジエターをボディサイドに移し、ブレーキをインボード化。全体をウエッジ・シェイプ(楔形)にした革新的デザインで登場。この年マシンは72B、72Cと進化しながらヨッヘン・リントが4勝、エマーソン・フィッティパルディが1勝を記録する活躍を見せた。ロータス72は1977年まで活躍し、2度のドライバーズチャンピオン(1970年・72年)、3度のコンストラクターズチャンピオン(1970年・72年・73年)を獲得した。

  • 1977
    Wolf WR1

    Wolf WR1

     1977年F1に参戦したウルフは、その開幕戦アルゼンチンGPにウルフWR1を投入するとジョディ・シェクターのドライブでデビューウィンを飾った。ボディ全体が楔形のウェッジシェイプ形状でダウンフォースを稼ぎ出し、かつ軽量・コンパクトに仕上げられた名車だ。この年シェクターは3勝を記録。最終戦の日本GP(富士スピードウェイ)ではスタート直後に2位に浮上し、決勝のベストラップも記録するなど速さを見せ、日本のファンの印象に残っているマシンだ。

  • 1981
    Alfaromeo 179C

    Alfaromeo 179C

     1976年、チームにエンジン供給する形でF1に復帰したアルファロメオは1979年からワークスチームとして参戦。水平対向12気筒からV型12気筒エンジンに換えた179を投入。1981年にはマリオ・アンドレッティがチームに加わった。1982年にかけてアルファロメオは179C、179D、179Eと3種類のマシンを参戦させ、1981年の最終戦ラスベガスGPでアンドレッティが3位入賞。アルファロメオにF1復帰後初の表彰台をもたらせた。

  • 1988
    WILLIAMS FW12

    WILLIAMS FW

     1986年から2年連続でホンダエンジンとのタッグでコンストラクターズチャンピオンに輝いたウイリアムズだったが、1988年はホンダエンジンの供給を受けることができず、ジャッドエンジンを搭載してシーズンを戦った。ターボエンジンが禁止される1989年を見据えて前倒しでNAエンジンを使用。レギュラードライバーにナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼを起用した。アクティブサスペンションへのトライやエンジンの信頼性不足でリタイヤが多かったが、マンセルが2度2位表彰台に立っている。

  • 1988
    AGS JH23

    AGS JH23

     南フランスのAGSチームは、F3、F2、F3000を経て、1986年の後半からF1に進出。その1988年用マシンがJH23。小型、低重心の優れた設計だった。ドライバーにはF2、F3000時代に同チームで活躍したフィリップ・ストレイフを起用。非力なコスワースDFZエンジンながら、カナダGPでは予選10位、決勝では一時4位を走行する速さも見せた。小規模チームゆえの信頼性の低さが弱点だったが、鈴鹿の日本GPではシーズン最高位の8位完走を果たした。

  • 1989
    Lotus 101

    Lotus 101

     1988年でターボエンジンが禁止され、翌89年は3500cc NA(自然吸気)エンジンのみとなった。それまでHondaのV6ターボエンジンで戦ってきたロータスは新たに101を投入。エンジンはV型8気筒のジャッドを搭載。ドライバーは引き続き中嶋悟とネルソン・ピケを起用して戦ったが、マシンの信頼性に悩まされ両ドライバーともに思うような結果を残せなかった。日本GPではピケが予選11位、中嶋が12位からスタート。ピケは見事に4位入賞を果たしたが、中嶋は後半マシントラブルからリタイアとなった。

  • 1992
    VENTURI LC92

    VENTURI LC92

     1987年からF1参戦を開始したラルースチームは、1990年鈴木亜久里が加入すると鈴鹿F1日本GPで日本人ドライバー初の3位表彰台に立つ活躍を見せた。1992年チームは自動車メーカー、ヴェンチュリーの支援を受け、ランボルギーニV12エンジンを搭載したヴェンチュリーLC92を投入。前年の全日本F3000チャンピオン片山右京がF1にデビューし、そのステアリングを握った。その後もラルースからは1993年鈴木利男、1994年野田英樹がスポット参戦。日本人ドライバーと縁の深いチームだった。

  • 2005
    FERRARI F2005

    FERRALI F2005

     2004年に圧倒的な強さを誇ったフェラーリは、2005年のマシンも前年からの発展型であるF2005で行くことにしていた。だが、ルノーとマクラーレンの速さについて行けなかった。それでも、ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロは奮闘し、二人で3位3回、2位4回を獲得。タイヤの問題で6台のみの出走となったアメリカGPではシューマッハが優勝した。このF2005での苦い経験は、翌年のフェラーリの善戦へとつながった。

  • 2010
    FERRARI F10

    FERRALI F10

     2009年の新規定対応にやや乗り遅れていたフェラーリは、翌年遅れを解消したマシンF10を投入。ドライバーは新加入で元チャンピオンのフェルナンド・アロンソと、前年の大怪我から復帰したフェリペ・マッサ。序盤戦でのエンジンの不安が解消されるとF10は持ち前のハンドリング性能の良さを武器に躍進。アロンソは5勝を挙げたが、わずか4点差でチャンピオンを逃してしまった。マッサも5回表彰台に登る善戦を見せた。

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