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8耐レースレポート8耐レースレポート

第1回大会 1978年 〜 第10回大会 1987年

第1回大会 1978年
第1回インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第1回大会 1978年
■Race Report
初代勝者はクーリー/ボールドウィンのヨシムラレーシンググループ!!

スタートから快走し、レース序盤でほとんどのチームを周回遅れにしたクーリー/ボールドウィン。だが、レース序盤でのピット作業でトラブルが発生。ポールシッターで、2ストロークレーシングマシンのヤマハTZ750改を駆る杉本/エムデが逆転するが、この杉本/エムデもその後のピット作業で手間取ってしまい、クーリー/ボールドウィンが再逆転。
これで、194周を走破したクーリー/ボールドウィンが初代覇者となり、2位に杉本/エムデ。そして3位には、途中、ガス欠でスプーンカーブからマシンを押して戻ってきたハットン/クロスビーが入った。

第1回大会 1978年 第1回大会 1978年 第1回大会 1978年
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第2回大会 1979年
第2回インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第2回大会 1979年
■Race Report
優勝候補が相次いで脱落!!大波瀾のレースはハットンが雪辱!!

ポールポジションのクロスビーが、スタート直後から独走。しかし、すぐに予定外のピットインによってアルダナが首位に立ち、金谷がこれに続く。そして、12周目には、金谷のパートナー藤本が首位に躍り出るが、25周目のS字コーナーで転倒するとマシンは炎上してしまった。
この後、木山/阿部がトップに立つが、午後4時を前に予定外のピットイン。また、一時は2位を走ったシングルトンや、富江、和田らが相次いで転倒するなど、レースは波瀾の展開に。こうした中、安定した走りに徹したハットン/コールが優勝。ハットンは前年の雪辱を果たした。

第2回大会 1979年 第2回大会 1979年
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第3回大会 1980年
世界選手権シリーズ第5戦 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第3回大会 1980年
■Race Report
ヨシムラの作戦勝ち!! スペンサー、ローソン初登場!!

レース序盤の混戦からクロスビーとアルダナが抜け出す。しかしアルダナはマシントラブルでリタイア、代わってクーリー/クロスビー、ハンスフォード/ローソンのトップ争いへ。
レース中盤、ローソンが転倒、クロスビーはピット作業に手間取るなど、両チームともにタイムロスをしながらの戦いとなったが、最後のライダー交代の際、クロスビーはクーリーと代わることなくガス補給のみでピットアウト。ラップタイムは、クーリーよりもクロスビーのほうが勝っていたからの作戦で、これが奏功して優勝。ハンスフォード/ローソンは2位。初参戦のスペンサーはマシントラブルでリタイアとなった。

第3回大会 1980年 第3回大会 1980年 第3回大会 1980年
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第4回大会 1981年
世界選手権シリーズ第5戦 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第4回大会 1981年
■Race Report
ガードナー初参戦。世界が震撼したファイターの走り。

アルミフレームで武装したモリワキモンスターを駆り、ガードナーが初参戦。2分14秒台という驚嘆の好タイムでポールポジションを獲得するが、キック方式マシンのためにスタートで出遅れ、クロスビー/クーリーが快調にトップを走行する。しかし、このクロスビー/クーリーはその後にリタイアし、代わって首位に立ったのは、ボールドウィン/アルダナだった。そしてこのとき、ガードナーが鬼気迫る勢いでボールドウィン/アルダナに急接近して場内は騒然とするが、なんとスプーンカーブで転倒してしまう。
その後、ボールドウィン/アルダナは、安定した走りで199周を走破して優勝のチェッカーを受けた。

第4回大会 1981年 第4回大会 1981年 第4回大会 1981年
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第5回大会 1982年
世界選手権シリーズ第5戦 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第5回大会 1982年
■Race Report
台風直撃!!6時間に短縮されたレースで日本人ペアが初優勝!!

ジワジワと台風がサーキットに接近するという状況下で、史上初めてレース時間が6時間に短縮されたが、チームにとっては、レースはもちろんのこと、台風の動きが最も気にかかるレースとなる。そして、雨の激しさは時間を追う毎に増し、最終コーナーを立ち上がったところで転倒したライダーが、グランドスタンド前を水しぶきを上げながら滑り抜けるというシーンまで見られたほどだ。
この雨に、海外チームをはじめとする主力チームは、次々と転倒とトラブルでリタイアしていき、優勝は飯嶋/萩原の日本人ペアのものとなると同時に、4位までを日本人ペアが占めた。

第5回大会 1982年 第5回大会 1982年
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第6回大会 1983年
世界選手権シリーズ第6戦 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第6回大会 1983年
■Race Report
スズキvsカワサキの耐久チームによる首位攻防戦!!

クロスビー/フィリス、サミン/ペルネ、ラフォン/イゴア、モアノー/ユービンが接近戦を展開するが、午後2時30分過ぎにペルネがスプーンカーブで転倒、続いてクロスビーはマシントラブルに見舞われて脱落。これで、トップ争いはカワサキ・フランスのラフォン/イゴアとスズキ・フランスのモアノー/ユービンの一騎打ちとなる。だが、その後にラフォン/イゴアのマシンからオイル漏れが発覚し、これでモアノー/ユービンが独走態勢を固めるが、そのモアノー/ユービンは電気系トラブルに襲われ、チェッカーまで約20分となったところで予定外のピットイン。しかし、それまでに築いた十分なマージンにより、190周を走破して優勝した。

第6回大会 1983年 第6回大会 1983年
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第7回大会 1984年
世界選手権シリーズ第2戦 "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第7回大会 1984年
■Race Report
排気量の上限が750ccに!!新世代8耐はホンダの独壇場!!

TT-F1の排気量が、上限1000ccから750ccに変更になったことを受け、この年から8耐に登場するマシンも、最大排気量が750ccとなった。そして、前年からこのレギュレーションを見据えていたホンダが、5台のワークスマシンを投入すると、そのなかのロッシュ/ガードナー、ボールドウィン/マーケルがレース終盤でトップ争いを展開する。だが、115周目にロッシュが転倒し、優勝はボールドウィン/マーケルのものとなった。一方、4位を走行していたヤマハXJ750を駆る上野/河崎は、チェッカーまで残り10分でマシンがストップ。しかし、止まった場所がゴールライン直前であり、上野はマシンを押してチェッカーを受け、5位を獲得した。

第7回大会 1984年 第7回大会 1984年 第7回大会 1984年
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第8回大会 1985年
世界選手権シリーズ第3戦 "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第8回大会 1985年
■Race Report
ロバーツが平とのペアで復帰!!ガードナーが初優勝!!

1983年にGPを引退したロバーツが、平とペアを組み復帰し、ポールポジションを獲得する。そして、スタートでは大きく出遅れ、最後尾にまで順位を下げたロバーツ/平だったが、驚愕の追い上げを見せると、なんと38周目にはガードナー/徳野から首位の座を奪ったのである。だが、チェッカーまで残り約30分となったところで、平が突然のスロー走行。惰性で最終コーナーを下ってきたマシンは、グランドスタンド前でついには止まってしまったのだ。これで、ガードナーが8耐初優勝を達成して、その後の8耐ヒーロー伝説の第一歩を記したが、一方で、平にとっては、90年に悲願が達成されるまでの、悲運伝説の始まりでもあった。

第8回大会 1985年 第8回大会 1985年 第8回大会 1985年
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第9回大会 1986年
世界選手権シリーズ第3戦 "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第9回大会 1986年
■Race Report
ガードナーが8耐連覇!!ホンダは8耐3連覇!!

ポールシッターのガードナー/D.サロンがスタートとともに快調に飛ばし、3時間を経過した頃には、同一周回数を走行するのはロバーツ/ボールドウィンのみとなった。さらにスタートから約5時間、そのロバーツ/ボールドウィンのマシンにトラブルが発生、逆バンクでストップしてしまった。これで、完全に首位独走となったガードナー/D.サロンは、2位のドーソン/マギーに2周差をつける197周を走破して優勝。ガードナーは、初の8耐連覇を遂げたライダーとなった。また、3位には辻本/シュワンツが入り、平はD.サロンの兄、C.サロンとペアを組み出場したが、こちらは途中リタイアに終わった。

第9回大会 1986年 第9回大会 1986年 第9回大会 1986年
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第10回大会 1987年
世界選手権シリーズ第5戦 "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース
第10回大会 1987年
■Race Report
ヤマハが8耐初制覇。ラップ数も200周の大台に突入!!

8耐直前のGPで平が負傷。このため、平はライダーとしてではなく監督としてチームを指揮することになったが、そのウイマー/マギーが200周を走破して優勝し、平は監督として8耐初優勝を遂げることになった。レース中盤までに、ポールシッターのガードナー/D.サロンが首位を確立するが、その後にD.サロンがデグナーカーブで転倒を喫して脱落。これでトップに立ったのはヨシムラのグッドフェロー/高吉だったが、高吉はチェッカーまで約5分のところで痛恨の転倒。これでウイマー/マギーが首位に立つと、そのまま優勝のチェッカーをくぐり抜け、ヤマハにとっても、これが8耐初制覇となった。

第10回大会 1987年 第10回大会 1987年 第10回大会 1987年
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