F1

片山右京

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僕は今年で59歳なのですが、鈴鹿サーキットは60周年なんですね。おめでとうございます。僕が鈴鹿サーキットに初めて行ったのは、1983年5月のこと。JAF鈴鹿グランプリのFJ-1600に出場したときです。

筑波サーキットでデビューした年にFJ1600のチャンピオンを獲ったのですが、ウエストレーシングカーズの神谷誠二郎さんに『筑波でチャンピオンを獲っても鈴鹿で獲らなきゃ本物じゃない』と言われて、初めて鈴鹿のフルコースをいきなり走った。その時は「すごいサーキットだな」と思いましたね。

練習走行を一度走ってすぐ予選だったのですが、次が右コーナーなのか左コーナーなのかも分からず、峠道を走っているようでした。初めて鈴鹿に来たときはホテルの部屋も取れなかったんですよ。白子の海沿いにトラックを停めて荷台で寝ていたくらいです。

片山右京

でも、子ども心に「これが世界格式のコースなんだ」と筑波との違いを感じましたよね。その頃はデグナーカーブも高速コーナーでしたし、130Rの内側などに山があって、ブラインドで勇気が試されました。いまの世界トップのF1ドライバーたちもそう語っていますが、世界屈指のサーキットであり、真にチャレンジングなコースだと思っています。

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その後、全日本F3000を経て、F1にデビューしてから初めて鈴鹿に戻ったときには、ふたつの感情がありました。ひとつは国内トップフォーミュラでの初ポールポジションや初優勝も鈴鹿だったのですが、初めてのF1を一年戦い「ああ、怪我もせず無事に戻れて良かったな」ということ。

片山右京

そして鈴鹿でいちばんにコースインするととともに、ファンのみなさんに手を振りながら、カシオトライアングル(現日立Astemoシケイン)を立ち上がると、遠くに伊勢湾がキラキラと見えたんですよね。ひんやりとした朝のサーキットの雰囲気が変わらず、透明感があって素晴らしい気持ちを感じることができました。

片山右京

鈴鹿は本当に大好きですが、F1時代はとにかく残念な思い出しかない(苦笑)。

結果的に言うと自分に力が入りすぎていて、空回りしていたんです。極めつけは、いちばん調子が良かった1994年。予選でセッティングが決まらず決勝で巻き返したかったのですが、天候は土砂降り。シケインを立ち上がって、みんながアクアプレーニングでアクセルを戻しているところを、「10台くらい抜いてやろう」と全開でいったんです。当然、巻き込んでクラッシュです。

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僕の後輩たちは(佐藤)琢磨にしろ(小林)可夢偉にしろ鈴鹿で結果を出したので良かったですが、僕も(鈴木)亜久里さんみたいに結果につなげたかった。ドライバーだけではなく、サポートしてくれた人たちのためにもね。だから残念でした。

片山右京

鈴鹿サーキットという存在は、今後も変わらないと思うんです。ただ今後、社会的な責任やモータースポーツの立ち位置が問われる時期になってくると思います。遊園地があって楽しい、レースがあって楽しいだけではなく、モビリティの変化やエネルギーソースの変化がやってくると思いますが、もちろんそういった努力もされているなかで、今後も日本のサーキットの最高峰の存在でいてほしいと思います。

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■片山右京(かたやま うきょう)
1963年生まれ、神奈川県出身。1991年の全日本F3000選手権チャンピオン獲得を経て、1992年にベンチュリ・ラルースからF1デビューを果たした。その後、ティレル、ミナルディを経て1997年にF1を引退。以降は全日本GT選手権やル・マン24時間レース、ダカールラリーなどに挑戦。自転車競技に関する造詣も深く、2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の自転車競技スポーツマネージャーを務めた。現在はSUPER GT GT300クラスに参戦するGOODSMILE RACING & TeamUKYOの監督を務める。