F1

〜角田裕毅選手の父、角田信彰さんスペシャルインタビュー〜

取材・まとめ 柴田久仁夫
──角田裕毅選手は4歳からカートを始めたとのことですが、そもそもお父さんご自身、カートをされていたのですか?
角田信彰さん(以下、角田):いえ、私自身カートはまったくやっていませんでした。ただ、社会に出てからモータースポーツをやりたくてしょうがなくて、ジムカーナを10年ほど続けました。その後、結婚して家庭を持つにつれてやめてしまいました。裕毅についてもしっかりした目的があってカート場に連れて行ったわけではなく、山中湖かどこかに家族旅行したついでに、サーキットを見つけて寄ったのが最初でした。
──最初からレーシングカートということではではなかった。
角田:4歳でしたから、小さなキッズカートでしたね。最初はアクセルを踏んでも飛び出さないよう、紐で引っ張りながら走るような感じでした。
──4歳の角田選手は、それですっかりカートが気に入ってしまった?
角田:どうでしょう(苦笑)。その時はポケバイも乗ったんですね。で、どっちが楽しいと聞いたら『カートだ』と。それで翌週からも行き出して、それがだんだん家族の習慣になって、カート場にみんなで出かけるようになりましたね。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

──そこからレーシングカートに進んだきっかけは? 本人の意思でした?
角田:いや、小学校の半ばまでは何がしたいとかではなくて、楽しいだけだったと思います。幼稚園から小学校に上がる頃には、エンジンが30ccから60ccに大きくなった。そうすると最高スピードも80km/hぐらいまで上がって危険にもなる。それでも本人はブレーキングとかを学ぶのが、とにかく楽しかったようです。
──乗り始めていきなり速かったのですか?
角田:どうでしょう。私も含めお父さん方が付き添い兼コーチみたいなことをするのですが、多くの人はコーナリングではアウトインアウトを教えていた。でも僕は、クリップポイントの奥に向かって行って来いと言っていた。そうするとアウトから向かってくる放物線でもっといいラインを描きますから。そういう教え方は他とは少し違っていたかもしれません。ブレーキングにしても、まずはロックすることを覚えさせました。ロックすると、ハンドルでコントロールしないとスピンしてしまう。ロックぎりぎりか、あるいはロックしてもマシンをコントロールしてコーナーを回ることを覚えさせたり。そんなことをやっていたのが、速くなる要因だったのかもしれません。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

──角田選手自身、ブレーキングの限界をお父さんから教わって、それが4輪に行ってからもすごく役に立ったと話しています。そこはお父さんがかなり意識的に教えていた部分だったのでしょうか?
角田:そうですね。『ブレーキを制するものはレースを制する』と言っている人も多いくらいですし、『ブレーキが一番重要だ』『ブレーキは止めるためじゃない。減速の際にクルマの向きを変えたりクルマをコントロールするのに使うペダルなんだよ』と、本人にいつも言っていました。
──レース活動が本格化していくと、金銭的な負担も大変だったと思います。
角田:そうですね。でもたとえばタイロッドなどはネットで安く買っておいたり、親しくなったショップに安く分けてもらったり、タイヤもかなり長く使ってから換えたり。タイヤはユーズドで走ったほうが、むしろ運転技術は上達しますしね。新品だとたしかにタイムは上がりますけど、それは本人の腕が上がったわけではない。お金をかけるライバルたちに勝つために、ユーズドでも速く走れるように教えていました。
──順調に成長してステップアップしていったわけですが、カート時代はまさか自分の息子がプロのレーシングドライバーになるとは思わなかった?
角田:思っていないですよ(笑)。とにかく自分に自信がつくものを身につけてほしいという思いでした。ですので、水泳も6年間やっていましたし、僕自身、自転車のダウンヒルをやっていたこともあって、スキー場の上から下ってくるようなこともやったり。スキーも毎年行ってましたね。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

──カートから4輪に進む時というのは、どんな子にとっても大きな転機だと思います。角田選手の場合は、本人が4輪に進むことを望んだのですか?
角田:どうだったかなあ……15歳の時にFTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)というトヨタのオーディションがあったんですね。小高(一斗)選手などが受けたのを見て、じゃあ試しにやってみようかと。そんな感じだったと思います。カートの成績で書類審査は通るので、それで受けてみました。僕も4輪ドライバーにさせるつもりはなかったし、本人も特に考えていなかったと思います。岡山で4日間、初めてフォーミュラを走らせて、5日目にオーディションだったのですが最初は12人いて、そこから6人に絞られた中に入った。それで十分だと思っていたら、宮田莉朋選手に次いで総合2番の成績だった。関谷(正徳/校長)さんは伸び代の大きさを高く評価してくれたようです。その時、僕は初めて裕毅は4輪でも通用するかなと思いましたね。
──もしかしたら、そのままトヨタの契約ドライバーになっていたかもしれない?
角田:オーディションで、1番でスカラシップを獲得していたら、そうかもしれません。ただ、HondaがF1に参戦していましたから、夢を追うのならHondaの方がいいとは思っていました。ただ、Hondaは16歳にならないと4輪のスクールに入校できなかった。それで失礼ながら『試しに』と、トヨタを受けた。宮田選手がいなかったら1番になっていて、トヨタにそのまま行っていたかもしれません。
──16歳でSRSーF(鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ)を受けたのは、本人の意思でしたか?
角田:それもどうだったか(笑)。僕がお膳立てして、道筋をつけて、本人がそれに乗っていた感じだったかもしれません。本人が本当にやる気を出したのは、海外に行ってからですね。国内で参戦したFIA-F4の時も、そんなにムキになっていなかった。走っていてもけっこうミスが多くて、本人もその頃は確固たる目標がなかったと言っていましたから、その辺が走りに影響していたのか。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

──角田選手自身、最近までF1には興味がなかったと言っていましたね。
角田:ヨーロッパに行った時も、F1までは考えていなかったですね。F1を考えるようになったのは、2019年FIA-F3のスパ(ベルギー)で2位になって、モンツァ(イタリア)で優勝して、僕自身はその時に初めてF1を意識しました。本人も同じことを言っていましたね『その時初めてF1が見えてきた。それまではあくまで夢の世界だったのが、現実に手の届きそうな目標になった』と。
──FIA-F3で初めて表彰台に上がったベルギーでのレースは、アントワーヌ・ユベール選手が事故死した週末でした。それは角田選手も非常にショックを受けたと言っていました。そんな話をされたことは?
角田:直接話をしたことはないです。前日に亡くなって、でもF3のレースは開催された。前年の2018年にF3のレースぐらい見ておけと、夏ぐらいからビデオに撮って見せていたんですよ。その中でのユベール選手の走りをよく覚えていて、走り方を真似したとか言っていましたね。下位チームにいても頑張って走っているその姿勢とか、それもリンクして感銘を受けたのでしょうね。実はF1が決まって22番のナンバーを選んだ時にユベール選手のお母さんから連絡があって、『アントワーヌの誕生日が9月22日で本人も気に入っていた数字だった。22を選んでくれてありがとう』とメールが来ました。
──ヨーロッパに行ってからの角田選手の成長ぶりは、どのようにご覧になっていますか。
角田:ヨーロッパに行って最初に所属したチームは中堅というか、下の方のチームでしたよね。それでどうかなと思っていましたが、最初から速かった。2戦目で27番スタートから7位になったり、レースになれば速い。ただ予選はクルマの差で後ろのグリッドに行ってしまう。それを繰り返すのを見ていて、一生懸命やっているのはわかりました。ただ、彼の悪い癖というか、いい時が続くとすぐに悪くなったりする。たとえばスパで表彰台、モンツァで優勝していい流れのなかで、僕はその次のロシアでどうなるかすごく注目していた。そうしたらいろんなことがあって、やっぱり良くなかった。予選も良くなかったし、走り自体、がむしゃらだった。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

──FIA-F2に進んでからは?
角田:最初の頃は、とにかくポイントを取らないといけないって言っていましたね。優勝よりも2位とか3位の表彰台を続けたほうがいいと。それで自分の走りを見失って、守りに入っていましたね。守りに入ると自分が普段やっていないことをして、他との間合いも変わってしまう。それで接触もしてしまう。もっと自分の走りに変えていけと伝えたり、お互い話をしていて、そこは真面目に聞いてくれましたね。
──シーズン中盤から後半にかけては、上がったり下がったりの成績でした。
角田:ええ。最後のバーレーンでの2連戦の時点で、たしか選手権3位でしたよね。それで余裕があったせいか、スピンして予選最後尾になってしまった。ああいう悪い癖が最後に出た。またやっているなと思っていたら、決勝では6位まで上がった。じゃあ次が怖いなと思っていたのですが、案の定ぶつかりましたよね。そうしたら最終戦(フューチャーレース)では全部が決まって優勝できた。スタート直後に順位が下がったりしてもタイヤをうまく持たせて順位を上げて、いいレースをしたなと思いました。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

──成長を実感しましたね。
角田:ええ。あれで年間4位が確定しましたけど、次のスプリントレースも決めてほしいと思っていました。8番から12番まで下がったりしたけど、しっかりまとめて2位でフィニッシュした。感動しました。初めての感動だったかな(笑)。今までで一番いいレース週末でした。成長は十分に窺えました。
──去年はレースごとに、そのように頻繁に連絡を取り合っていたのですか?
角田:いや、そんなことはないです。最初に1回、半ばに1回、それぐらいです。終盤2カ月空いた時は1回話しましたけど。それぐらいです。
──今の感じで行くと、F1デビューシーズンもそんなに心配してないですか?
角田:メカトラブルとかは別にして、ちゃんと走れればいいなと思いますね。本人は成績がどうこうとか、そこまでは考えていないでしょう。クルマの能力を引き出せれば成績がついてくる。本人もそう言っていますね。まあシーズン前半は予選Q3に進めれば。あとはレース運びがうまく行けるよう、訓練の期間ですね。

父、角田信彰さんが語る、角田裕毅

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