F1

高木虎之介

高木虎之介

鈴鹿サーキットに初めて行ったのは、レーシングカートに出場していたとき。15〜16歳くらいのころでしょうか。カートなので南コースでしたけれどね。その後四輪にステップアップして、初めてフルコースを走ったのは全日本F3選手権に出場していたときなので、19歳のときだったと思います。

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僕はずっとF1日本グランプリを観ていたので、初めて鈴鹿サーキットを走った時はもちろん感動しました。

当然、全日本F3に出てからは富士スピードウェイなど国内のさまざまなコースを走りますが、富士は地元だったということもあったので、西日本の鈴鹿というのはやはりひときわ新鮮でした。鈴鹿は『走れて良かったな』と思ったコースです。

その後、全日本F3000、そしてフォーミュラ・ニッポンで戦い、1998年からはF1に出場するようになりましたが、鈴鹿は世界のコースのなかでもいちばん難しいコースでした(笑)。

高木虎之介

クルマが決まらないとやはり気持ち良く走れないコースです。世界を転戦して1998年のF1日本GPで「やっと日本に戻って来られた」という気分はあったのですが、もう本当に乗りづらいイメージしかなくて(笑)。あれでは結果は出せないですよね。鈴鹿はやっぱり速いクルマでないとうまく走れない、難しいコースなんです。

高木虎之介

でも日本でのレースということもあり、関係者の方も多くて楽しかったです。今もそうですが、あの頃は日本のF1ファンが本当にすごかった。金曜日、フリー走行ではいちばん最初にコースインしたりしていたのですが、エンジンをかける前はもちろん、コーナーで走っていてもファンのみなさんの声が聞こえるんです。すごく感動しましたよ。

高木虎之介

F1ドライバーとして日本に戻ってきて、全日本F3やF3000、フォーミュラ・ニッポンで出場していた頃とはやはり雰囲気がぜんぜん違いました。地元で『日本人頑張れ!』という期待をすごく感じたレースでもありました。

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富士スピードウェイには小山町、御殿場市がありますが、鈴鹿サーキットはもう鈴鹿市の街自体が“モータースポーツの街”なんですよね。鈴鹿サーキットがあってこその鈴鹿市だと思うんです。これが本当にすごいこと。今後も将来に渡ってモータースポーツを盛り上げてくれる街だと思います。

いま、サーキットはどんどん安全な方向になっていますが、鈴鹿サーキットはいろいろな改良をしてくれていますよね。鈴鹿サーキットに望むことですか? 強いて言うならば、メインストレートが下り坂になっているのをなんとかして欲しいです。僕はあれで何度もエンジンストールしかけましたから(苦笑)。

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■高木虎之介(たかぎ とらのすけ)
1974年生まれ、静岡県出身。全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポンで印象的なスピードをみせ、1998年にティレルからF1デビューを果たす。1999年はアロウズから参戦。2000年に帰国すると、フォーミュラ・ニッポンで10戦中8勝をマークしチャンピオンに輝く。その後、CART/インディカー・シリーズ、SUPER GTなどに参戦。2008年シーズンをもって現役を離れ、以降は若手ドライバーの育成に取り組む。現在はSUPER GT GT500クラスに参戦するTGR TEAM ENEOS ROOKIEの監督を務める。