F1

佐藤琢磨

佐藤琢磨Photo:Hiroaki Matsumoto

鈴鹿サーキットは僕が10歳の時、1987年の日本GPで初めてF1を見た場所になります。

その後、自転車のシマノ鈴鹿ロードレースでコースを走り、鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)で初めてフォーミュラカーに乗りました。

初めてフォーミュラカーでコクピットの中から見た景色が、当時のアイルトン・セナのオンボード映像と同じで、「ウォー!」って叫びながらドライブしていました(笑)。

佐藤琢磨Photo:三栄

その時々でいろいろな思い出はありますが、そのなかでもやはり、2002年にF1ドライバーとして鈴鹿に戻って来た時は格別でしたね。母国グランプリというのは、他のレースとは比べ物になりませんでした。

あの年のジョーダンのクルマはなかなか結果も出ていなかったけど、鈴鹿の前にはシルバーストンでタイヤテストもして、エアロパッケージも決まっていたので、鈴鹿での走り始めからクルマの感触がそれまでとは全然違いました。予選もうまく決まったし、決勝も全ラップ、全コーナーでファンの振るフラッグが揺れているのが見えました。あの景色は決して忘れられません。

佐藤琢磨Photo:三栄

そして、2002年のベストリザルトを鈴鹿で残すことができました。ドライバー人生の中で思い出に残っているレースのひとつです。

その後、F1で鈴鹿を走った2003年から2006年にかけても、その年ごとにいろいろな思い出もありました。2006年はスーパーアグリF1チームとして初の凱旋で上位入賞は難しいのはわかっていたけど、ファンの人がすごく応援してくれた。どの年、どのチームで走っていても、鈴鹿に帰って来たときのファンの応援は変わりませんでした。

佐藤琢磨Photo:Hiroaki Matsumoto

2019年に山本尚貴選手がトロロッソで日本GPのプラクティスを走った時にガレージの中で見せてもらいましたけど、あの時は『これからも、どんどん若いドライバーにF1に乗ってほしい』と思いましたね。

鈴鹿サーキットにはこれからもF1を続けてほしいと思っています。

コロナの影響で2年ほどF1が来ることができなくて、SRS(現Honda Racing School Suzuka)のスクールの生徒たちも目の前でF1を見ることができませんでした。ドライバーとして、やはり自分の目指すものを直接、自分の肌で感じて見ないとダメだと思います。

佐藤琢磨

今、海外にF1を見に行くなんて、そんなに簡単にできることじゃない。せめて彼らには本物のF1を鈴鹿で見てほしいですね。

今も昔も、F1ドライバーの誰もが鈴鹿が素晴らしいサーキットだと言いますよね。コースもチャレンジングで、雰囲気も最高だと。その鈴鹿で、若いドライバーたち、そして日本のファンの人たちに本物のF1を見てほしいと思います。

佐藤琢磨Photo:Hiroaki Matsumoto

■佐藤琢磨(さとう たくま)
1977年生まれ、東京都出身。鈴鹿サーキット・レーシング・スクール(SRS)のスカラシップを経て、イギリスF3王者、F3マカオGP王者に輝くと、2002年にジョーダンよりF1デビュー。BAR・ホンダから参戦した2004年アメリカGPでは、日本人2人目となる3位表彰台を獲得。2006年にスーパーアグリに移籍し、2008年の同チームの撤退をもってF1を離れると、2010年よりインディカー・シリーズに参戦。2017年にアジア人初のインディ500制覇を果たすと、2020年には2度目の制覇を果たした。2019年からはホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿のプリンシパルを務めつつ、現在もインディカー・シリーズに参戦中。