F1で走った鈴鹿は、これまでに走行したマシンとは全然違いました。実は僕が初めてF1マシンで鈴鹿を走ったのは前年の1996年日本GPの次の日なんです。リジェで当時のタイヤテストだったかと思いますが、F1マシンのあまりの速さに驚いたのを覚えています。
初めてフォーミュラカーを走らせたのも鈴鹿だったので、僕にとっての鈴鹿はレースの大切なことをすべて学んだ集大成の場になります。ですので、1997年の鈴鹿にF1ドライバーとして帰ってこれたというのは、いろいろな思いが込み上げてきました。
昨年F1デビューした日本人ドライバーの角田裕毅が非常に良い走りをしていて、日本だけではなく世界中のF1ファンに注目される存在になっている角田が、さらに成長して帰ってくると思うので、彼が母国でどういった走りを見せてくれるかすごく楽しみです。
フェラーリに加えてレッドブル、そしてメルセデスがこれからのアップデートで調子を取り戻して三つ巴になれば面白いレースになると思いますし、今年のF1マシンが鈴鹿でどういった走りを見せ、一体何秒のラップタイムを刻むのか。本当にいろいろな部分で楽しみが尽きないです。
僕にとっては鈴鹿は教科書であり、自分にとってのサーキット=鈴鹿で、自分を育てくれたサーキットです。鈴鹿では初めて17歳のときにF3マシンを走らせましたし、もっと過去を辿ると、自分の父親がレースをしているときに初めて見に行ったのが鈴鹿でした。
本当に子どものころから、物心が付いたときから鈴鹿サーキットに通っていました。そこからまさかですが、自分が18歳になって走ることになり、その先にはF1ドライバーとして鈴鹿に帰ってくることができた。
自分自身のレーシングドライバーの夢をすべて叶えてくれたのが鈴鹿でした。今は鈴鹿サーキット・レーシングスクールで講師もやらせて頂いていますし、本当にいろいろな角度から自分自身に学びをくれた場所でもあります。
■中野信治(なかの しんじ)
1971年生まれ、大阪府出身。無限ホンダのワークスドライバーとして実績を重ね、1997年にプロスト・グランプリから日本人で5人目となるF1レギュラードライバーとして参戦。その後、ミナルディ、ジョーダンとチームを移した。その後アメリカのCART、インディカー・シリーズ、ル・マン24時間レースなどに参戦。現在はホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿のバイスプリンシパルとして後進の育成に携わるほか、DAZNのF1インターネット中継番組で解説を担当。