F1

中嶋悟

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F1で5回(1987年〜1991年)鈴鹿サーキットで日本グランプリを走って、印象的なシーンはいっぱいありますが、そのなかでも一番思い出深いのはやはり最初の年の1987年と、最後の年の1991年ですね。

1987年で一番記憶に残っているは、レースで終わりまで残り2〜3周になって、その時は7位だったのだけど、あの頃は燃料の搭載量が規定で決められていたこともあって、ガス欠してしまったクルマが出てきて、順位をひとつ上げることができたところですね。それまでのレースの細かい部分はもう覚えていないですけど、終盤までに7番手を走れていて、そこから(日本人初の母国GP入賞となる)6位になれた。

中嶋悟

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ある種、結果が良ければということですけど、自分の母国に帰ってきてポイント圏内を走りたい、ポイントを獲りたいという気持ちがありましたので、それをなし得たので、やはりその時のことは印象に残っています。もちろんその結果とともに、その年は1年、外の国を回ってきて、母国のみなさんの前で走れるという気持ちも大きかったです。そして、なおかつその母国で入賞することができた。

中嶋悟

その時の鈴鹿の景色はもう、前の年まで走っていた鈴鹿の景色とは違っていましたね。F2で走っていた頃はS字とかその先のコーナーも、その当時は木が生えていて高フ景色だった。だけど、1F1の時はその高フ部分がすべて人で埋まっていた。色が全然違いましたよね。

中嶋悟

1991年の最後の鈴鹿も、やはり印象に残っているのはレースが終わった瞬間です。残念賞で終わってしまった。サスペンションにトラブルが起きたときはもう素直に、『ああ、終わっちゃったなあ』という気持ちだけでしたね。最後の鈴鹿で多少はいいところを見せようと思っていたけども(苦笑)、残念賞だった。

その時の鈴鹿も、予選の時からサーキットにとんでもない数の人が来ていて、どこに行ってもみなさんが応援してくれた。移動の時に動くのに困ったというくらい、とにかく人が多かったのを覚えています。

中嶋悟

F1で走ったときの当時の鈴鹿で好きなコーナーとしては、やはりS字のあたりですね。良い感じで走ることができれば、本当に気持ちのいいコーナーですよね。ステアリングも当時は(パワステがなくて)重かったけど、そこはS字よりも速いコーナーがやっぱり重かったよね。その鈴鹿の日本GPで結果的に成績が良かったのは、間違いなく、走った数が多かったからですよね。その当時のF1ドライバーのなかで世界で一番、たくさん走っていた道でしたからね。

今年はひさびさの鈴鹿での日本GPになりますが、今年は角田(裕毅)がいるわけですから、角田がファンのみなさんの応援を受けられれば、あの時と同じような盛り上がりになっていくのではないでしょうか。彼がもう1回、お客様を盛り上げるきっかけになればと思います。やはり、鈴鹿で日本人がいいところを走れば盛り上がると思いますので。

鈴鹿サーキット60周年、改めまして、鈴鹿がなければ今の自分もなかった。レース人生のすべてのスタートが鈴鹿であり、そして終わりでもある。今もまだそうですけどね。

中嶋悟

■中嶋悟(なかじま さとる)
1953年生まれ、愛知県出身。全日本F2選手権で5度のチャンピオンに輝くと、1987年にロータスから日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてF1デビューを果たした。1991年の現役引退後は、NAKAJIMA RACINGを率いて国内のさまざまなカテゴリーに参戦。現在もSUPER GT、スーパーフォーミュラで総監督として手腕を振るいつつ、2004年からはスーパーフォーミュラを運営する日本レースプロモーションの会長も務めている。