F1

山本左近

山本左近

鈴鹿サーキット60周年、おめでとうございます。

私にとって、鈴鹿サーキットはなくてはならない大切な存在です。小学校に入る前後の1989年、母親に連れられてF1日本GPの観戦に訪れたのが鈴鹿サーキット、そしてF1を知る最初のきっかけになりました。

アイルトン・セナ選手やアラン・プロスト選手、日本からは中嶋悟さん、鈴木亜久里さんが参戦したF1黄金期と呼ばれた時代です。F1マシンの走り、エンジン音や匂い、そして雰囲気を含めたすべてに魅了されたことを覚えています。

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モータースポーツという存在を知り、そこで『自分もF1ドライバーになりたい』と思い始めたわけですが、当時はどうすればF1ドライバーになれるのかはわかりませんでした。さまざまな雑誌を読み漁るなかで、鈴鹿サーキットが『鈴鹿サーキット・レーシングスクール・カート(現:ホンダレーシングスクール鈴鹿・カートクラス)』を始めるという記事を見つけ、申込書を送ったのが1993年、11歳の終わり頃になります。

山本左近

反対する両親に土下座して頼み込んで、やっとの思いで入校許可を得ました。鈴鹿のスクールでモータースポーツを始めたことが、鈴鹿サーキットで開催されているF1日本GPを走ることができた私の原点になります。私にとって、鈴鹿サーキットがなければ今の私はここにはいないと言っても過言ではありません。

鈴鹿サーキットにはたくさんの思い出がある中でも、2006年のF1日本GPにホンダエンジンを積んだオールジャパンのスーパーアグリF1チームのドライバーとして、佐藤琢磨選手とともに戦えたことは本当に大切な思い出として残っています。ファンのみなさんの大歓声のなか、2台揃って完走を果たせたことは、応援してくれた全てのファンのみなさんのお陰と感謝しています。

山本左近

決勝日だけで16万人以上のお客さんがお越しになり、すべてのコーナーでお客さんの姿が見えました。グランドスタンドや1コーナーはもちろん、ヘアピンからスプーンまでや、130Rのイン側からシケインにかけても、ずっと人の姿が途切れることはありませんでした。あのシーンは一生忘れることができません。

山本左近

日本は自動車産業の国でありますが、自動車を使ったスポーツであるモータースポーツはもっと日本国内で評価されて然るべきです。モータースポーツをしっかりと成長させていくためにも、スポーツとしてしっかりと認識されることが重要です。

ファンのみなさん、自動車やモータースポーツ産業に関わるみなさん、そして今私が携わる政治、それぞれ立場と役割は違いますが、鈴鹿サーキットが将来100周年を迎える未来に向けて、みんなで一丸となって日本のモータースポーツをより発展させ、自動車文化をしっかりとつくり上げていく必要があります。
カーボンニュートラル実現に向けて大きな変化を迎える時代の中で、仮に市販車の自動運転化が進み、自分自身で運転しない時代になったとしても、モータースポーツは決してなくなることはありません。だからこそ、次の時代の鈴鹿サーキットは、これまで以上に走る喜びを感じられる場所になっていくはずです。次の世代へ繋いでいくためにも、みんなの力で、新しい未来を切り拓いていきましょう。

山本左近Photo:小笠原貴士

■山本左近(やまもと さこん)
1982年生まれ、愛知県出身。鈴鹿サーキット・レーシング・スクール(SRS)を経て、2005年にフォーミュラ・ニッポン、SUPER GT GT500クラスに参戦。同年の日本GPではジョーダンのリザーブドライバーを務めた。2006年のドイツGPでスーパーアグリからF1デビューを果たすと、2007年はスパイカー、2010年はHRTからスポット参戦。3シーズンで計21戦を戦った。2019年より政治活動を開始し、2021年の衆議院議員総選挙にて初当選。現在は国政に携わるとともに、自由民主党モータースポーツ振興議員連盟の事務局長を務める。