F1

尾張正博

尾張正博

鈴鹿サーキットで開催されてきた日本GPを20数年取材してきて、一度だけ遅刻したことがある。2010年のことだ。

その年の10月4日、月曜日、御大ことモータースポーツ・ジャーナリストの西山平夫さんが逝去された。お通夜は3日後の7日、木曜日に開かれ、告別式は8日、金曜日だった。

勝手に師と仰いでいた筆者にとって西山さんの死はあまりにも大きく、お通夜だけでなく告別式にも参列した。場所は東京都中野区の宝仙寺斎場。時刻は午前11時。約400km離れた鈴鹿サーキットでは、1回目のフリー走行が始まっていた。

告別式のあと、火葬にも立ち会った。その後、鈴鹿サーキットへ向かった。西山さんが愛していた場所だ。金曜日の夕方に到着し、メディアセンターに入って驚いた。最後列、左端の窓側に西山さんが居た。

尾張正博Photo:Masahiro Owari

記帳簿とともに遺影が飾られたテーブルには、西山さんが付ける予定だったテンポラリーパスも置かれてあった。その年の5月から体調を崩していた西山さんの容体は日に日に悪化し、5月末に行われたトルコGP以降、現場での取材をお休みし、闘病生活を送っていた。

その西山さんの心の支えになっていたのが、鈴鹿サーキットで開催される日本GPだったに違いない。パスの発給に尽力し、亡くなった西山さんのために席を確保した鈴鹿サーキット。西山さんが愛した鈴鹿サーキットに、西山さんもまた愛されていた。

尾張正博Photo:Masahiro Owari

土曜日、グランドスタンド裏から最終コーナーのほうへ歩を進めると、西山さんの死を悼んで設営された臨時スペースに、記帳するための横断幕が掲げられてあった。これもまた鈴鹿サーキットの粋な計らいだ。

ドライバーたちから「最高のコース」と唸り、F1関係者が「最高の観客」と称える鈴鹿サーキットには、もうひとつ忘れてはならない魅力がある。それは、ドライバーやレース関係者、そしてファンを大切にするだけでなく、メディアを思いやる心もサーキットに従事している方々に備わっていることだ。

その鈴鹿サーキットが今年で60周年を迎えた。

今年、3年ぶりに開催されるであろう日本GP。多くのドライバー、そしてF1関係者たちが鈴鹿サーキットを訪れることを楽しみにしている。2010年から4年連続でチャンピオンを獲得したセバスチャン・ベッテルは言う。

「鈴鹿のないF1は、F1じゃない」と。

きっと、西山さんも鈴鹿サーキットにF1が帰ってくること、そしてその鈴鹿サーキットが60周年を迎えたことを天国から祝福しているに違いない。

尾張正博

■尾張正博(おわり まさひろ)
1964年生まれ、宮城県出身。テニス雑誌の編集者を経て、1993年よりフリーランスのジャーナリストとしてF1取材を開始。1998年からはF1専門誌の編集長を務め、2002年から再びフリーランスとしてF1を取材。現在もF1現場取材を継続し、F1雑誌やスポーツ誌、ウェブ媒体を通じてF1の一次情報を発信している。