F1

川井一仁

川井一仁Photo:三栄

鈴鹿サーキットさん、60周年おめでとうございます。その歴史の半分以上、F1グランプリを開催しているなんてすごいことだと思います。F1の開催権を勝ち取るのは大変ですからね。

最近行われたマイアミGPを見ると、「アメリカですねぇ。近くにある遊園地みたいですねぇ。ショービズですねぇ」てな感じだった。まあ、お客さんが楽しんでいたので、あれはあれで良いと思う。でも鈴鹿は鈴鹿らしい日本GPを開催してくれれば良い。鈴鹿はクラシック・サーキットなのだから、渋いグランプリで良い。

川井一仁Photo:三栄

不思議なもので、クラシック・サーキットでのグランプリでスタート前にグリッドに立つと、新しいサーキットでは味わえない感覚……その国、その地域の歴史や伝統を感じさせるような重厚さを味わえる。それを感じられるのがシルバーストーン、モンツァ、そして鈴鹿といったところだ。だから鈴鹿にはあのようなギミックは必要ないね。

日本GPでもっとも印象に残っている場面と言ったら、1990年だ。スタート直後に(アイルトン)セナと(アラン)プロストの接触があって、当時のチーフ・ディレクターが「川井! マイクを突っ込め!」と言うから、1コーナーから先に戻ってきたプロストに行ったら(どう見てもプロストの方が被害者のような接触事故だったので、彼の方がたくさん話すだろうと考えた)、ヘルメットで押し返された。それで目標をセナに替えたんだ。

ただでさえセナは繊細だから、あんな状況で彼に話を聞くのは難しいと思ったんだけど、ピットレーンを歩きながら「どう? 話せる?」って訊いたら、立ち止まってくれたのでインタビューができたというわけ。

川井一仁Photo:三栄

それは映像として残っているけど、個人的にはその内容は覚えていない。ディレクターは「国内だけじゃなく、国際映像にも載せるんだった」と悔やんでいたけど、僕としてはセナのインタビューが終わった瞬間、「ハイ、私のこの日本GPの仕事は終了!」という気持ちだったね。

でも、気づいたら(鈴木)亜久里君が3位を走っていて、「あれ!? トップ3インタビューは日本語でやっていいのか?」と言うようなことも考え出したんだ。そう、当時のF1グランプリのテレビは今ほど洗練されたものではなくて、表彰台後の世界中に配信されるインタビューは地元の人間が担当することになっていたんだ。

川井一仁Photo:Kazuhito Kawai

それで優勝した(ネルソン)ピケ、そして(ロベルト)モレノのインタビューはそこそこにして(ふたりには謝りましたよ、もちろん)、亜久里君に日本語でインタビューした。

今となってはこれも何を訊いたのかまったく覚えていないけど、その国際インタビュー前、表彰台の裏では亜久里君の当時のマネジャーが大泣きしていて、こっちもつられて泣きそうになって、そうしたら表彰台から降りてきた本人は意外なぐらいケロッとしていたので、こっちは拍子抜けしたことは覚えている。

まあ、あの日本GPはとにかくドタバタだったね。ベネトンのメカニック連中にタイヤ・キャリアー(タイヤを縦に4本並べて運ぶ2輪車)に縛り付けられて、頭からシェービング・クリームやケチャップなんかをかけられてパドックを引きづり回されたのは、この時じゃなかったと思うけどね。

川井一仁Photo:三栄

■川井一仁(かわい かずひと)
1960年生まれ、埼玉県出身。1987年のフジテレビのF1中継開始時よりスタッフのひとりとして参加。海外留学で培った語学力を発揮し、1989年よりピットレポーターを務める。1990年からは全ラウンドでピットリポーターを務め、当時のF1中継の顔に。現役エンジニア並のレースストラテジーの解説を得意とし、2018年には日本人では唯一F1パドック殿堂入りを果たしている。現在もフジテレビNEXTで解説を担当。