日本独自のフォーミュラシリーズへ フォーミュラ・ニッポン(1996年〜2012年)

1996年のFN初代チャンピオンはラルフ・シューマッハー(レイナード96D/無限MF308)。
Photo:SAN-EI

 全日本F3000選手権を引き継ぐ形でスタートした「フォーミュラ・ニッポン(FN)」は、プロスポーツとしての地位を確立するため、日本レースプロモーション(JRP)が運営し、日本独自のスタイルを目指したトップフォーミュラだった。

 初年度の1996年は、国際F3000選手権がコスト削減等でマシン、エンジン、タイヤを統一したワンメイクフォーミュラで再スタートしたのに対して、日本では全日本F3000同様、マルチメイクのマシンやエンジン、タイヤでスタートした。この年は前年のマカオGPウイナーのラルフ・シューマッハーが参戦、3勝を挙げて初代チャンピオンに輝き、翌年ジョーダンGPからF1デビューを果たした。
シューマッハーの参戦理由が、F1ドライバーである兄ミハエル・シューマッハーからの「日本のトップフォーミュラはレースを学べる」という推薦があったからだと言われている。

 1997年は1996年全日本F3チャンピオンのペドロ・デ・ラ・ロサがタイトルを獲得した。デ・ラ・ロサは並行して出場していた全日本GT選手権でもタイトルを獲得しF1へステップアップした。またこの年からはタイヤもブリヂストンの一社供給がスタート。

 1998年には全日本F3を経て1996年からFNに出場している本山哲が自身初のトップフォーミュラのチャンピオンを獲得する。本山は以降2000年、2003年、2005年と4度のFNチャンピオンを獲得した。当時星野一義率いるチームインパルに所属していたため二代目「日本一速い男」の称号を得た。その後も戴冠した外国人ドライバーは、F1やFIA GTやWTCCなどへと活躍の場を広げていった。

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1998年には本山哲がチャンピオンに。
本山はこの後3度のタイトルを獲得(レイナード97D/無限MF308)。
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 2003年には車両規定で大きな変化があった。2002年にはレイナードの実質ワンメイク状態となっていたが、同社の倒産によりローラ製シャシーを導入しワンメイクとなった。ここでマシン、エンジン(無限MF308)、タイヤ(ブリヂストン)を同一仕様で戦うシリーズとなった。また3年ごとに使用するマシンの見直しが行なわれることになる。

 2006年にはマシンをローラの改良版(FN06)に、無限MF308に替わり、TOYOTAとHondaからインディレーシングリーグ用エンジンをベースとしたV8 3L自然吸気の新型エンジンが供給された。出力は約550馬力ほどを発生した。無限MF308が460馬力以上だったためタイムが向上し、同時季に行われた鈴鹿2&4レースの予選では約1秒短縮してみせた。

 2007年には1998年よりFNに参戦していた松田次生がタイトルを獲得、翌年も連覇している。現在はSUPER GTで日産ワークスとして活躍しているのは良く知られている。2008年には「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」が制定され初年度は平手晃平が獲得。

 2009年にはローラの代替えマシンとしてスイフトFN09が供給された。またエンジンもTOYOTAとHondaからV8 3.4Lのエンジンが供給された。馬力も600馬力以上を発生した。さらにこのエンジンにはオーバーテイクボタンがあり、20秒間回転数を400回転上げることで、前車への追い抜き増が図られた。

 2011年にはF1に出場していた中嶋一貴がFNに参戦を開始、翌2012年には戴冠した。翌2013年からは日本だけではなく、アジア圏での開催を目論み「スーパーフォーミュラ」と名称を変更してスタートし、更なる発展を遂げていく。次回は、その「スーパーフォーミュラ」をご紹介する。

2009年には新マシン、スイフトFN09が導入された。
未来的なスタイルのマシンにはオーバーテイクボタンが導入され、
レースに面白さが増した。
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(敬称略)

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