2018 AUTOBACS SUPER GT Round3 SUZUKA GT300km Fan Festival

SUZUKA GT300kmの歴史「1995年〜2010年」を振り返る Vol.5

SUZUKA GT300kmの歴史「1995年〜2010年」を振り返る Vol.5
 全日本GT選手権(JGTC)SUPER GT GT500クラスに参戦するHonda NSX艦隊は前年の1998年、第4戦でJGTC初優勝を飾ると、そこからはオールスター戦を含めて一度も負けることなくシーズンを終えた。タイトルは獲得できなかったが、5連勝でこの1999年開幕戦・鈴鹿GT300kmレースを迎えていたのである。前年に予選上位を占めながら果たせなかったHondaの総本山での開幕ウイン、これはNSX勢の1999年の大きな目標のひとつだったと言っても過言ではない。そして、なかでもNo.18 TAKATA童夢NSXの脇阪寿一と金石勝智には心中、期するものが大きかったはずだ。

 1999年もNSXの参戦は4台。チームとドライバー編成は1998年後半から継続されていたが、その前年の中盤以降、第4〜7戦+オールスター戦をNSX勢が5連勝した過程において、1台だけ勝っていないのがNo.18だった。

 No.18は1998年の途中から新進気鋭の脇阪が加入、実力者・金石との強力コンビとなり、実はシリーズ最終戦SUGOではトップでチェッカーを受けていた。しかし、レース後の再車検でエアリストリクターに関する違反を取られて失格、勝利を別のNSXに譲る格好となっていたのである。オールスター戦にも勝利できず、長いシーズンオフを経ての開幕戦での雪辱、そこにかける思いは当然強かっただろう。

 1999年開幕戦のレースウイークは雨に見舞われ続けることになる。No.18 NSXはポールポジションを獲得し、決勝でも先発の脇阪が出遅れ気味のスタートながら首位を守って発進した。雨の中、スピンを喫して3番手に順位を下げる局面が序盤にあったが、やがてトップに躍り出たマシンが脱落した後は、新型R34スカイラインGT-RのNo.1 ペンズオイル・ニスモGT-R(エリック・コマス/本山哲)と優勝争いを繰り広げることに。

 金石へのバトンタッチ前には脇阪がトップ返り咲きを果たし、ピット攻防での前後等も経つつ、レース後半は速く安定したペースで金石がライバルのNo.1 GT-Rを圧倒。Hondaにとって悲願ともいえる開幕戦鈴鹿での勝利を果たしたのは、“遅れてきたウイナー”No.18 NSXであった。物理法則が支配するモータースポーツの世界に精神論は相応しくないが、シーズンオフを挟んでの雪辱にかける両ドライバーの思い、それが結実したかのような雨中戦ポール・トゥ・ウインだった。

 SUPER GT GT300クラスはチェッカー後に大波乱発生。トップでゴールしたのはNo.71 シグマテック911の城内政樹/河野尚裕だったが、エアリストリクター径の違反で彼らは失格となってしまう。優勝はNo.19 ウエッズスポーツセリカ、織戸学/原貴彦の手に渡る。その車名から分かる通り、レーシングプロジェクトBANDOHのマシンで、当時は現GTA代表の坂東正明氏が陣頭指揮を執っていた時代だ。

 幸運も味方に開幕勝利を得たNo.19 セリカ。しかしこの年、彼らは嬉しくないかたちでジンクスを破ることになってしまう。1995年に鈴鹿が開幕地となって以降、1998年までGT2〜SUPER GT GT300クラスでは開幕ウイナーがチャンピオンに輝いていた。しかし1999年のNo.19 セリカは、最終戦もてぎで3陣営大接戦のタイトル争いを演じたものの、惜しくも王座に就くことは叶わなかったのである。最終戦、稀代の名勝負の末のジンクス消滅だった。

SUZUKA GT300kmの歴史「1995年〜2010年」を振り返る Vol.5
   そして鈴鹿GT300kmレースは開幕戦としての開催を1999年限りでひとまず終え、翌2000年からしばらくは最終戦開催を原則としていくことになる。

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