SUZUKA Sound of ENGINE 2017

Master  Histric Formula 1

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 11月18日(土)・19日(日)に開催されるSUZUKA Sound of ENGINE 2017で『マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1』のデモンストレーション開催が決定した。

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 いま、ヨーロッパやアメリカで注目を集めている“もうひとつのF1グランプリ”がある。それが11年の歴史を誇るマスターズ・ヒストリック・レーシングが主催するヒストリックF1シリーズだ。
 そもそもイギリスでは1979年から82年まで型落ちのF1マシンを対象とした国内選手権、ブリティッシュF1シリーズが開催されていたことがあるが、いわゆるジェントルマン・ドライバーを対象としたホビーとしてのF1選手権が始まったのは90年代中盤のこと。以来レギュレーションや主催団体の変更など、いくつかの変遷を経て、2013年からはマスターズ・ヒストリックF1が唯一のシリーズとして活動を続けている。
 参加できるのは、1966年から85年までのノンターボ3リッターF1マシンで、72年までの“ジャッキー・スチュワート・クラス”、72年以降のノン・グラウンドエフェクトF1による“エマーソン・フィッティパルディ・クラス”、72年以降のグラウンドエフェクト・マシンを対象とした“パドリック・ヘッド・クラス”、そして72年以降のフラットボトム・マシンの“ニキ・ラウダ・クラス”の4つにクラス分けされている。
 各戦平均28台のエントリーを誇るマスターズ・ヒストリックF1の最大魅力は、なんといっても往年のマシンが全力でレースをする光景だ。参加するドライバーは皆、国際C級ライセンスを保持し、アマチュアながら様々なカテゴリーでキャリアを積んできた腕利き揃い。それらをサポートするチームやメカニックにもF1経験者は多く、パドックはまさに“プチF1ワールド”といった雰囲気となる。
 またヒストリックとはいえ、シリアスなレースである以上、テクニカル・レギュレーションが厳密に管理、施行されているのも同シリーズの特徴のひとつ。例えばエンジンに関しては、メイクスや気筒数の制限がないが、コストの増大や過当競争を抑えるため、多数派を占めるコスワースDFVのレブリミットは1万回転以下と指定され、レースウィークの走行距離もエンジン・ライフを考慮したものとなっている。
 一方のシャシーについても、現役当時のカラーリングなどオリジナル状態であることを義務付けているほか、最新式のフューエルセルの装備やクラックテストなど、安全に考慮した細かなレギュレーションが設定されている。
 現在マスターズ・ヒストリックF1は、スパ・フランコルシャン、モンツァ、シルバーストーンなどのグランプリ・コースを舞台とした全8戦のヨーロッパ・ラウンド、カナダGP、アメリカGP、メキシコGPのサポートレースを含めた全6戦の北米ラウンドと、2つのシリーズで開催されているのだが、そこにエキシビション戦として新たに鈴鹿サウンド・オブ・エンジンが加わることとなった。
 「今回、世界的に見ても有数のグランプリ・コースである鈴鹿サーキットを舞台にデモンストレーションを行えることを参加するメンバー全員が喜んでいます」
 と語るのは、マスターズ・ヒストリック・レーシングのファウンダーを務めるロン・メイドン。
 「会場にきて、F1マシンを見てください、触れてください、感じてください。そして聴いてください。クルマたちそれぞれが持つヒストリーは、我々が作ったものでも、我々が所有しているものでもありません。でもそれをメンテナンスし、保護し、ケアしていくのは我々の役目。それは将来に向け、このクルマたちを守り受け継いでいくために必要なことなのです」
 その言葉のとおり、F1GPの初開催から記念すべき30年目を迎えた鈴鹿サーキットで、F1のヘリテイジを伝える“もうひとつのF1グランプリ”がスタートすることは、日本のモータースポーツ文化の将来を考えても非常に意義深いことといえそうだ。

 RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2017ではF1マシン13台によるデモンストレーションを予定している。クラス分けは行わず、11月18日(土)はスペシャルステージ方式で1台ずつのタイムアタック走行、19日(日)はローリングスタートでのデモンストレーションとなる予定だ。

FIAマスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1のクラス区分

notes
ジャッキースチュワートクラス

 1972年末までに製造されたF1

エマーソン・フィッティバルディクラス

 1973年以降に製造されたノングランドエフェクトカーのF1

notes
パトリック・ヘッドクラス

 1973年以降に製造されたグランドエフェクトカーのF1

ニキ・ラウダクラス

 1973年以降に製造されたフラットボトムのF1

※チャンピオンシップクラスは上記J.スチュワートクラスとE.フィッティバルディクラス、P.ヘッドクラスとN.ラウダクラスをそれぞれ併せた2つの選手権で争われます。

sub title machine

Masters Historic Formula 1 MACHINE
1970 Tyrrell 001 1970 Tyrrell 001
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1970 Tyrrell 001

 アルミ・モノコック、コスワースDFV、ヒューランドFG400というオーソドックスな構成ながらコンパクトでハンドリングに優れた001。ジャッキー・スチュワートのドライブで第11戦カナダGPに現れた001は、いきなりポールポジションを獲得するという衝撃の公式戦デビューを飾った。70年はトップを走るも全てリタイアに終わったが、翌71年には南アフリカ、非選手権のカナダとブランズハッチで2位に入るなど活躍。現在001を所有しているのは、世界的なティレル・コレクターとして知られるジョン・ディレーンである。

1972 Brabham BT37 1972 Brabham BT37
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1972 Brabham BT37

 ロン・トーラナックから、新たにバーニー・エクレストンが代表に就任したモータースポーツ・ディベロップメント(ブラバム)が1972年用に用意したマシン。アルミ・モノコックにジャッド・チューンのDFV、ヒューランドFG400ギヤボックスなど前年型のBT34から基本的な構造は変わっていない。ドライバーはグラハム・ヒルとカルロス・ロイテマン。BT37は2台のみが製作されたが、このシャシーナンバー2は、ロイテマンのレースカーとして第5戦ベルギーGPでデビュー。第11戦カナダGPではBT37としてのベストリザルトである4位を記録している。

1974 Hesketh 308B 1974 Hesketh 308B
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1974 Hesketh 308B

 ヘスケスは、大富豪でレース好きの貴族、アレキサンダー・ヘスケス卿が設立したレーシング・チームで、気鋭の新人ジェームス・ハントを擁して1973年からF1へと進出。74年からポスルスウェイト設計のオリジナル・マシン308を投入し、4月にブランズハッチで行われた非選手権のBRDCインターナショナル・トロフィーで優勝したほか、公式戦で3度の表彰台に立つなどの活躍を果たした。74年に308として製作されたシャシーナンバー1は、ハントがドライブしBRDCインターナショナル・トロフィーで優勝した個体そのもの。シーズン後半にサイドラジエター、フォワード・ウイングなどを装備した308Bにアップデートされた。

1974 Lotus 76 1974 Lotus 76
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1974 Lotus 76

 ロータス72の後継車として1974年に発表。トーションバー・サスペンションやインボードブレーキなど72から流用した部分も多かったが、デルタ形のアルミ・モノコック、複葉式のリヤウイングなど、軽量化や空力性能の向上に力が注がれていた。新機軸としてヒューランドFG400に電磁クラッチを組み合わせ、シフトノブのボタンでクラッチ操作を可能としたセミオートマ・システムを搭載。ステアリングシャフトの左右に左足用、右足用のブレーキペダルを配した4ペダル式を採用することで、ドライバビリティの向上を狙ったが南アフリカGPで使用されたのみでお蔵入りとなった。通常の3ペダルMTに戻されるも、戦闘力不足から非選手権を含む7レースに出走しただけで、72Eに替えられてしまった。このシャシーナンバー1は、4レースに参戦したものの、目立った成績を残すことができなかった。

1975 Maki F101C 1975 Maki F101C
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1975 Maki F101C

 マキF101Cは、日本初のプライベートF1チームとして1974年から挑戦を開始したマキ・エンジニアリングが1975年シーズン用に用意したマシン。前年のドイツGPで大クラッシュを起こしたため、モノコックこそスペアのシャシーナンバー002を使用しているが、その内容は74年のF101Bとほぼ同じ。資金難からヨーロッパ・ラウンドのみのエントリーとなり、イギリスGPとオランダGPで鮒子田寛、ドイツGPとオーストリアGPでトニー・トリマーがドライブするも全て予選落ち。8月にディジョンで行われた非選手権スイスGPで唯一トリマーが13位完走を果たしている。このF101Cはマキ撤退後イギリスに残されていた1台で、何人かのオーナーの手を経て現在に至る。

1975 Williams FW04 1975 Williams FW04
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1975 Williams FW04

 1969年にプライベーターとしてブラバムBT26AでF1挑戦をスタートしたフランク・ウイリアムズ・レーシングカーズ。その後、紆余曲折を経て73年からはオリジナル・マシンを製作しコンストラクターとしての活動も開始する。FW04はウイリアムズが1975年用に用意したマシンで、スペインGPで登場。DFVとFG400を組み合わせた典型的な“キットカー”であるものの第11戦ドイツGPでラフィーが予選15位から値千金の2位でフィニッシュ。チーム創設後初の表彰台を獲得した。このシャシーナンバー2は、最終戦アメリカGPで、女性ドライバーとしてF1史上初の入賞記録を持つレラ・ロンバルディが24位で予選通過を果たすも、決勝レースはトラブルのためスタートできなかった。

1976 March 761 1976 March 761
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1976 March 761

 量産レーシングカー・コンストラクターとして活動したマーチが1976年シーズン用に用意したマシン。前作751のロングホイールベース仕様というべきもので、741以降のマーチF1同様、モノコックなど主要パーツをF2と共用している。当初ワークスからはビットリオ・ブランビラ、レッラ・ロンバルディ、ハンス・ヨアヒム・シュトゥックの3台が参戦。第2戦南アフリカからロニー・ピーターソンが加入し、4台体制になった。総合性能ではライバルに及ばなかったが、ストレートスピードの速さを活かし、ピーターソンがオランダGPでポールポジション、イタリアGPで優勝を飾るなど、随所で活躍をみせた。この761は、ブランビラがドライブしていた車両で、非選手権のレース・オブ・チャンピオンズで4位に入ったほか、オランダGPで6位に入った経歴をもっている。

1976 McLaren M26 1976 McLaren M26
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1976 McLaren M26

 チャンピオンマシンのM23の後継車として設計されたM26。基本的なコンセプトはM23を踏襲するものの、アルミハニカム製モノコックの採用で軽量化と剛性の強化を図っているのが特徴である。76年のイギリスGP後に発表されたM26は、ヨッヘン・マスのドライブによりオランダGPでデビューを果たすが、熟成不足で本格投入は遅れ、No.1のジェームス・ハントが実戦で使用したのは77年第5戦スペインGPになってからだった。その後徐々に実力を発揮し始めたハントとM26は、イギリスGPと日本GPで優勝。続く78年も継続して使用されるが、ロータス79相手にまったく歯が立たず、フランスGPの3位が最上位となった。このM26は主にヨッヘン・マスのレースカーとして使われた車両で、77年のイギリスGPで4位入賞を果たしている。また78年のイタリアGPでは、ハントも決勝でドライブしている。

1976 Penske PC4 1976 Penske PC4
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1976 Penske PC4

 今もインディ・シリーズのトップチームとして活躍するペンスキーが1976年シーズン用に開発したPC4。設計を行ったのは元ブラバムのジェフ・フェリス。74年、75年用のオリジナル・マシンPC1での失敗、PC1の代替として購入したマーチ751、そのコピーともいえるPC3での経験を生かしたPC4は第7戦スウェーデンGPでデビュー。ジョン・ワトソンの1台体制ながら、第8戦フランスGPで早くも3位入賞。続くイギリスGPでもジェームス・ハントの失格騒動で連続して3位入賞を果たす。そして第11戦オーストリアGPでは2番グリッドからスタートし初優勝。同年の日本GPでも予選4位に入る(決勝はリタイア)など活躍した。このシャシーナンバー1のPC4は、オーストリアGPで優勝した車両である。

1981 Brabham BT49C 1981 Brabham BT49C
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1981 Brabham BT49C

 ブラバムのオーナーであるバーニー・エクレストンは、デザイナーのゴードン・マーレイに、BT48に搭載するアルファ・ロメオV12エンジンを諦めコスワースDFVへの載せ替えを指示。こうして第14戦カナダGPに登場したのがBT49だ。BT49は翌80年シーズンも使用されピケが3勝を挙げる大活躍。81年にはカーボンで補強したアルミ・モノコック、ジャッド・チューンのDFV、アルファ・ロメオ製ケースにFG400を組み合わせたギヤボックスなど基本スペックは同じながら、スライディングスカート禁止対策としてハイドロニューマティック・サスを搭載したBT49Cが登場し、ピケが3勝を挙げて初のドライバーズ・タイトルを獲得した。このシャシーナンバー10は、80年のカナダGPでヘクター・レバーク車として登場。81年の非選手権南アフリカGPでピケがドライブし2位となった後、BT49Cにアップデートされテストカーとして使用された。

1982 Williams FW08 1982 Williams FW08
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1982 Williams FW08

 ウイリアムズFW08は、全15戦中に11人のウィナーが誕生するという、史上稀に見る混戦となった1982年シーズンにおいて、スイスGPでの優勝を含む44ポイントを獲得し、チャンピオンとなったケケ・ロズベルグがドライブしたチャンピオンマシン。成功作のFW07シリーズとは一転、無骨なアルミハニカムのモノコックをもつショートホイールベースが特徴だが、これは台頭するターボカーへの対抗策として、リヤ4輪の6輪車として開発(82年で6輪車、4WD車が禁止されたことで計画は中止)されたことに起因するものだった。エンジンはジャッド・チューンのコスワースDFVでギヤボックスはヒューランドFGA400。このFW08はロズベルグがドライブした車両で、カナダGPでデビュー。ドイツGPで3位、オーストリアGPではエリオ・デ・アンジェリスのロータス91との接戦の末、惜しくも2位となったヒストリーをもっている。

1983 Lotus 92 1983 Lotus 92
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1983 Lotus 92

 ロータス92は、前年の91をベースに、チームロータス創立者のコーリン・チャップマンと、デザイナーのマーティン・オグルビーが開発し1983年シーズンに投入されたマシン。この92は、ターボエンジンの使用が1989年シーズンで使用禁止になるまで、ロータスとしてノン・ターボエンジンを使用した最後の車両であり、またコスワースDFVエンジンを搭載した最後の車両でもある。ロータスにとって、アクティブサスペンションを採用した最初の車両でもあるが、このアクティブサスペンションにトラブルが多発し、デビューからわずか3戦で、ノーマルサスペンションに戻された。この92は、1983年シーズンの8戦まで、後に1992年に年間チャンピオンを獲得するナイジェル・マンセルがドライブし、デトロイトGPでの6位が最高位だ。

1983 Tyrrell 012 1983 Tyrrell 012
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1983 Tyrrell 012

 ティレルが、フラットボトム規定となった1983年シーズンに向け開発したマシン。完全新設計となったシャシーは、スリムなカーボンモノコックと小さなサイドポンツーンが奇抜(発表時はブーメラン型のリヤウイングを装着)な印象だが、前後ダブルウィッシュボーンのサスペンション、ショートストロークのコスワースDFV、ヒューランドFGA400ギヤボックスとその中身はオーソドックスなものだった。翌84年シーズンにはコスワースDFYを搭載。新人ステファン・ベロフとマーティン・ブランドルがドライブし、それぞれモナコで3位、デトロイトで2位に入る活躍をみせるが“水タンク事件”で全戦のリザルトが抹消された。この012は83年の第11戦オーストリアでデビューし、アルボレートのドライブによりオランダGPで6位入賞を果たした車両だ。

車輛製造年シャシー
No.
当時のドライバー
ティレル001
Tyrrell 001
1970-ジャッキー・スチュワート
Jackie Stewart
ブラバムBT37
Brabham BT37
19722カルロス・ロイテマン
Carlos Reutemann
ヘスケス308B
Hesketh 308B
19741ジェームス・ハント
James Hunt
ロータス76
Lotus 76
1974JPS9
(1)
ロニー・ピーターソン
Ronnie Petersen
マキF101C
Maki F101C
19752鮒子田寛/トニー・トリマー
Hiroshi Fushida / Tony Trimmer
ウイリアムズFW04
Williams FW04
19752レラ・ロンバルディ
Lella Lombardi
マーチ761
March 761
19761ヴィットリオ・ブランビラ
Vittorio Brambilla
マクラーレンM26
McLaren M26
19761ヨッヘン・マス/ジェームス・ハント
Jochen Mass / James Hunt
ペンスキーPC4
Penske PC4
19761ジョン・ワトソン
John Watson
ブラバムBT49C
Brabham BT49C
198110ネルソン・ピケ
Nelson Piquet
ウイリアムズFW08
Williams FW08
19821ケケ・ロズベルグ
Keke Rosberg
ロータス92
Lotus 92
198310ナイジェル・マンセル
Nigel Mansell
ティレル012
Tyrrell 012
19831ミケーレ・アルボレート
Michele Alboreto

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