SUZUKA Sound of ENGINE 2018

Masters Histric Formula 1 in JAPAN

懐かしのV8サウンドが響き渡り、
時を越えて往年の名車が鈴鹿を駆け抜ける!
世界的に人気の高まっている
マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1・イン・ジャパン
初開催

 いま、ヨーロッパやアメリカで注目を集めている“もうひとつのF1グランプリ”がある。それが12年の歴史を誇るマスターズ・ヒストリック・レーシングが主催するヒストリックF1シリーズだ。

 そもそもイギリスでは1979年から82年まで型落ちのF1マシンを対象とした国内選手権、ブリティッシュF1シリーズが開催されていたことがあるが、いわゆるジェントルマン・ドライバーを対象としたホビーとしてのF1選手権が始まったのは90年代中盤のこと。以来レギュレーションや主催団体の変更など、いくつかの変遷を経て、2013年からはマスターズ・ヒストリックF1が唯一のシリーズとして活動を続けている。

 参加できるのは、1966年から85年までのノンターボ3リッターF1マシンで、72年までの“ジャッキー・スチュワート・クラス”、72年以降のノン・グラウンドエフェクトF1による“エマーソン・フィッティパルディ・クラス”、72年以降のグラウンドエフェクト・マシンを対象とした“パドリック・ヘッド・クラス”、そして72年以降のフラットボトム・マシンの“ニキ・ラウダ・クラス”の4つにクラス分けされている。

 各戦平均28台のエントリーを誇るマスターズ・ヒストリックF1の最大魅力は、なんといっても往年のマシンが全力でレースをする光景だ。参加するドライバーは皆、国際C級ライセンスを保持し、アマチュアながら様々なカテゴリーでキャリアを積んできた腕利き揃い。それらをサポートするチームやメカニックにもF1経験者は多く、パドックはまさに“プチF1ワールド”といった雰囲気となる。

 またヒストリックとはいえ、シリアスなレースである以上、テクニカル・レギュレーションが厳密に管理、施行されているのも同シリーズの特徴のひとつ。例えばエンジンに関しては、メイクスや気筒数の制限がないが、コストの増大や過当競争を抑えるため、多数派を占めるコスワースDFVのレブリミットは1万回転以下と指定され、レースウィークの走行距離もエンジン・ライフを考慮したものとなっている。

 一方のシャシーについても、現役当時のカラーリングなどオリジナル状態であることを義務付けているほか、最新式のフューエルセルの装備やクラックテストなど、安全に考慮した細かなレギュレーションが設定されている。

開催クラス

  • ジャッキー・スチュワートクラス

     1972年末までに製造されたF1

  • エマーソン・フィッティバルディクラス

     1973年以降に製造された
    ノングランドエフェクトカーのF1

  • パトリック・ヘッドクラス

     1973年以降に製造された
    グランドエフェクトカーのF1

  • ニキ・ラウダクラス

     1973年以降に製造された
    フラットボトムのF1

※チャンピオンシップクラスは上記J.スチュワートクラスとE.フィッティバルディクラス、
P.ヘッドクラスとN.ラウダクラスをそれぞれ併せた2つの選手権で争われます。

参加予定マシン

Masters Historic Formula 1 MACHINE

  • 1971 Tyrrell 002

     ティレル002は1971年シーズン用に製作された、セカンドドライバーのフランソワ・セヴェール専用マシン。基本的な構成は前年デビューの001と同じだが、長身のセヴェールに合わせたロングホイールベース・シャシーが最大の特徴。開幕戦の南アフリカでデビュー。当初はウイングノーズだったが、イギリスGPからスポーツカーノーズを使用し、最終戦アメリカGPでは苦戦を強いられつつもセヴェールが生涯唯一の勝利を飾っている。オーナー&ドライバーは昨年001で出場した世界的なティレル・コレクターのジョン・ディレーンである。

  • 1972 March 721G

     DFVとアルファロメオ製ギヤボックスの間にデフを配置する特異なレイアウトでデビューした72年用の721Xが大失敗に終わったのを受け、F2の722をベース(71年終盤に711ベースで作られた721とは別物)に急遽9日間で設計されたといわれる1台。しかしながらワークスのロニー・ピーターソンとニキ・ラウダのドライブで善戦。ドイツGPではピーターソンが3位表彰台を獲得している。シーズン終了後に改修され翌年も731として使用されたほか、1台がヘスケス・レーシングに売却され、若き日のジェームス・ハントもドライブした。

  • 1974 LOLA T370

     シャドウDN1を購入し73年からF1参戦を開始したグラハム・ヒル率いるエンバシー・ヒルが、自チーム専用のマシンとしてローラに依頼して製作したT370。F5000マシンのT332をベースに開発され、その巨大なインダクションポッドは“インダクション・ウォール”と揶揄された。ヒルと期待の新人、ガイ・エドワーズがドライブするも成績は振るわず。ジェイミー・コンスタブルが所有するシャシーナンバーHU1はヒルのレースカーだった個体で、スウェーデンGPで6位に入るというT370唯一の入賞記録をもっている。

  • 1974 Lotus 76

     ドライバビリティの改善のため、ヒューランドFG400に電磁クラッチを組み合わせたセミオートマ・システムを採用。さらにクラッチ操作から解放された左足専用のブレーキペダルを追加するなど時代を先取りしたアイデアを盛り込んだ1台。しかしながら熟成は進まず、非選手権を含め7レースを走っただけでお蔵入りとなった。アンドリュー・ビューモントの76/1(JPS9)はドイツGPでロニー・ピーターソンが4位に入った経歴の持ち主。発表当時の姿にレストアされているが、ギヤボックスは通常の3ペダルMTとなっている。

  • 1974 March 741

     基本的にF2の742と同じモノコック、コンポーネンツを使用することを前提に設計されたマーチの74年用マシン。主にワークスのヴィットリオ・ブランビラ、ハンス=ヨアヒム・シュトゥックがドライブしたが、シルバーストーンで行われた非選手権では、高原敬武が日本人として初めてF1に出場、完走を果たしたマシンとしても知られている。マスターズUSAシリーズで活躍するニック・コリバズのシャシーナンバー741-1は、シュトゥックのレースカーとして南アフリカGPで5位、スペインGPで4位に入賞したヒストリーをもっている。

  • 1974 Surtees TS16

     サーティースは、世界で唯一WGPとF1のワールドチャンピオンに輝いたジョン・サーティースが設立したコンストラクター。TS16は74年用にサーティース自身が中心となって開発したマシンで、ドライバーはカルロス・パーチェとデレック・ベルが務めた。しかしながら74年の入賞はブラジルGPでのパーチェの4位のみ。スポンサーのマッチボックスの関係でプラモデルやミニカーが発売されたこともあって、50代前後の方には馴染みのあるマシンといえるかもしれない。

  • 1976 Lotus 77

     1976年に富士スピードウェイで開催されたF1イン・ジャパンで優勝したことで有名な1台。当初はトレッドとホイールベースを調整できるアジャスタブル・サスペンション、インボード・ブレーキなど、独創的過ぎるメカニズムを採用していたが、フロント・サスをプッシュロッドからアッパー・ロッキングアームに、ブレーキをアウトボード式にするなど様々な改良を施すことで、戦闘力が向上した。アメリカのクリス・ロックの所有する77は、3番目のシャシーにあたるJPS14。マリオ・アンドレッティがオーストリアGPで5位入賞を果たした。

  • 1976 March 761

     F2との共用化を進めてきたマーチの76年用モデル。比較的評判の良かった前年の751のロングホイールベース版といえるもので、ワークスからビットリオ・ブランビラ、レッラ・ロンバルディ、ハンス=ヨアヒム・シュトゥック、ロニー・ピーターソンの4台体制で参戦したほか、アルトゥリオ・メルザリオもプライベーターとしてエントリー。ピーターソンがオーストリアGPでポールポジション獲得、イタリアGPで優勝を果たすなど、直線スピードを生かした高い戦闘力を示した。SUZUKA Sound of ENGINE初見参のヘンリー・フレッチャーの761は元シュトゥック車。

  • 1976 Penske PC4

     インディやCan-Amで活躍していたアメリカの名門ペンスキー・チームが、1976年シーズン用に開発したオリジナルカー。ダンパーをインボードマウントしたフロント・サスペンション、高さを抑えたアルミモノコック、コクピット背後のインテイクなど空力性能の向上を意識した独自のアイデアを採用。フランス、イギリスGPで連続3位入賞を果たしたほか、第11戦オーストリアGPではジョン・ワトスンがチーム唯一の優勝を飾るなど高い戦闘力を示した。ダグ・モケットのPC4は、オーストリアで優勝したシャシーナンバー001である。

  • 1977 LEC CRP1

     マーチやトークンでドライバーとして活動していたデイヴィド・パーレイが、父親の経営する冷蔵機器メーカーLECの支援を得て設立したコンストラクター。CRP1はマイク・ピルビームのデザインで設計されたオリジナルマシンで、“CRP”は父親のイニシャルに由来する。第7戦ベルギーから参戦を開始するも第10戦イギリスのプラクティスでF1史に残る大クラッシュを起こし撤退。179.8Gの衝撃から奇跡的に生還したパーレイは、“最も大きい重力に耐えた人間”としてギネス認定された。現オーナーはマスターズ代表のロン・メイドン。

  • 1977 Lotus 78

     上下逆向きのウイング状としたサイドポンツーンをサイドウォールとスカートで密封することで強大なダウンフォースを得たグラウンドエフェクトF1の先駆的存在。エースのマリオ・アンドレッティが6勝、ナンバー2のグンナー・ニルソンも地元ベルギーで生涯唯一の優勝を飾るなど、圧倒的な速さを誇った。JPS-18と呼ばれたシャシーナンバー4は、ニルソンのレースカーとしてドイツGP以降のシーズン後半戦で活躍。翌年癌で他界するニルソン最後のレースとなった77年のF1日本GPでは、赤いインペリアル・カラーに塗られ話題となった。

  • 1979 Ensign MN179

     今年の7月に亡くなった、元レーシングドライバーのモーリス・ナン率いるエンサイン・チーム初のグラウンドエフェクト・マシン。シャハブ・アーメドのデザインによるシャシーは、フロントカウルにラジエーターとオイルクーラーを配する特異なスタイルでデビュー。その後、第4戦ロングビーチからオーソドックスなスタイルに大改修されるも、イギリスGPでパトリック・ガイヤールが13位でゴールした以外すべて予選落ちかリタイアに終わっている。ポール・タッタソールのN179は後期型のシャシーナンバーMN10で、公式戦の出走歴はない。

  • 1979 Ferrari 312 T4

     80度V型12気筒“ボクサー”ユニットを搭載した312シリーズ初のグラウンドエフェクト・マシンとして79年の第3戦、南アフリカGPでデビュー。ダニー・ベーカーの所有するシャシーナンバー037は、その南アフリカでジル・ヴィルヌーブがドライブして優勝、続く西アメリカGP(ロングビーチ)でも優勝を飾った由緒ある個体である。この年のフェラーリはジョディ・シェクター、ヴィルヌーブともに3勝ずつを挙げる圧倒的な強さをみせ、シェクターが初のワールドチャンピオン、チームもコンストラクターズ・タイトルに輝いている。

  • 1979 Shadow DN9

     コピーマシン問題でアロウズと裁判沙汰になったことで知られるDN9の発展型。特徴的な形状のサイドポンツーンを廃し、オーソドックスなウイングカー形状のサイドポンツーンを採用したシャドウ初のグラウンドエフェクトカーでもある。新人エリオ・デ・アンジェリスとヤン・ラマースの2台体制で参戦するもシャシー剛性の不足とダウンフォース不足に悩まされ成績は低迷。チャールズ・ワーナーのドライブするDN9-1Bは、最終戦ワトキンスグレンで4位に入ったデ・アンジェリス車で、サムソン・シャグ・タバコのライオンの絵柄が印象。

  • 1980 Brabham BT49

     BT48のアルファ・ロメオV12をコスワースDFVに載せ替え、79年の第14戦カナダGPに登場したBT49。シャシーは部分的にカーボンで補強したアルミ・モノコックで、ギヤボックスはアルファ・ロメオ製ケースにヒューランドFG400を組み合わせたもの。BT49Cはスライディングスカートの禁を受けハイドロニューマティック・サスを搭載した81年仕様で、ネルソン・ピケが3勝を挙げ初のドライバーズ・タイトルを獲得。ホアキン・フォルチのBT49-10は、非選手権の南アフリカGPでピケが2位に入った後、テストカーとして使われた1台だ。

  • 1980 McLaren M29C

     79年の開幕とともに初のグラウンドエフェクトカーM28を投入するも失敗に終わったマクラーレンが、第9戦イギリスGPで投入した新型車。様々な改良を加えられながら、エースのジョン・ワトスンをはじめ、パトリック・タンベイ、アラン・プロスト、アンドレア・デ・チェザリスらによって81年の第5戦まで使用されるも、決勝最高位は3度の4位(いずれもワトスンが記録)にとどまった。ウォーレン・ブリッグスが所有するM29は、モノコックやサスペンションの剛性が強化され80年の西アメリカGPから投入された改良版のM29Cである。 

  • 1980 Willliams FW07B

     80年に5勝を挙げたアラン・ジョーンズがワールドチャンピオンに輝き、ウィリアムズとしても初のコンストラクターズを獲得したFW07Bは、ロータス79を徹底的に研究し開発された79年型FW07のモノコックを強化、サイドウイングを延長するなどの改良を施したモデルである。マスターズUSAシリーズで活躍するチャールズ・ニアバーグのFW07/06は、FW07Bとして2番目に作られたシャシーで、主にアラン・ジョーンズのTカーとなった個体。実戦ではブラジルGPと西アメリカGPで使われ、ブラジルでは3位入賞を果たしている。

  • 1982 Arrows A5

     A4の不振に悩むアロウズ・チームが、来たるべきターボ時代を見据え82年後半に製作したテストカー。設計はA4に引き続きデイブ・ウォスだが、その中身はウィリアムズFW08のコピーといえるもので、フロントサスペンションだけが従来のロッカーアーム式とされていた。1台だけが製作され、第14戦スイスGPでマルク・スレールが乗りデビュー。イタリアGPでマウロ・バルディが、ラスベガスGPではスレールがドライブしたが最高位は7位に終わった。ちなみに83年に登場したA6は、A5をフラットボトム規定に合わせて改良したものだ。

  • 1982 Lotus 91

     ロータス最後のグラウンドエフェクトカーとなった91は、82年のオーストリアGPでエリオ・デ・アンジェリスが2位のケケ・ロズベルグを0.05秒さで破り、生前のコーリン・チャップマンに最後のF1優勝をプレゼントしたマシンでもある。モノコックは前年の87、88、83年の92、93T、94Tと基本的に共通のカーボンファイバー製。エンジンはショートストロークのコスワースDFVが搭載された。久保田克昭の所有する91/7は、ナイジェル・マンセルのレースカーだった個体で、ブラジルGPで3位、モナコGPで4位に入賞している。

  • 1982 Lotus 91

     マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ・ワンの常連でクラシック・チーム・ロータスのメンバーでもあるグレゴリー・ソーントンの91は、82年のイギリスGPに合わせて87から91に改修されたシャシーナンバー91/5で、プルロッド式のフロントサスペンションを持つのが特徴。シーズン後半のスペアカーとして用意され、実戦で使われることはなかったものの、マスターズ・シリーズではバルセロナで行われた2017年の開幕戦や、F1カナダGPのサポートレースのレース1で総合優勝を飾るなど、常にトップ争いを展開する実力の持ち主である。

  • 1982 March 821

     エイドリアン・レイナードが82年のRAMチーム用に設計した初のF1マシン。81年にレイナードやエイドリアン・ニューイが改良を施した811Bの進化型というべきもので、ロスマンズ・タバコのメインスポンサーを受けてヨッヘン・マスとラウル・ボゼールがドライブした。しかしながらマシンの実力不足に加え、多くのアクシデントに見舞われ低迷。シーズン途中でマスもロスマンズも離脱してしまった。クリス・ファレルの821/RM11は、イギリスGPまでマスが、後半はルパート・キーガンがドライブした個体で、最高位はイギリスでの10位。

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