鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
2000年
ハッキネンとのバトルを制したシューマッハが優勝!チャンピオン獲得!

優勝でチャンピオンを決めたシューマッハ(右)とチーム代表のジャン・トッド

優勝でチャンピオンを決めたシューマッハ(右)とチーム代表のジャン・トッド

1990年F3マカオGP以来のライバル関係が続くミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)とミハエル・シューマッハ(フェラーリ)。両者がF1に進出してからは、98年に直接対決となりハッキネンがドライバーチャンピオンを獲得。99年はシューマッハが怪我で数戦欠場したことにより直接対決にはならなかったが、チームメイト、エディー・アーバインのチャンピオン獲得をサポートするシューマッハが、ハッキネンの最大のライバルとなった。その結果、ドライバーチャンピオンはハッキネンに決まったものの、コンストラクターズチャンピオンはフェラーリが獲得した。
そして迎えた2000年。3年目のライバル対決は、シーズン中盤に調子を上げたハッキネンが第13戦終了時点で74ポイントを稼ぎ、ランキング2位のシューマッハに6ポイントリードしていた。このまま3年連続のチャンピオン獲得に突き進むかと思われたが、そこからシューマッハが2連勝し逆転。2戦を残し、シューマッハ88、ハッキネン80で第16戦日本グランプリを迎えた。
予選は3年連続の一騎打ちに。ハッキネンがトップタイムを記録するとすぐにシューマッハが塗り替える展開にとなった。最後のアタックでシューマッハはハッキネンのタイムを約100分の1秒短縮。直後にハッキネンがそのタイムを上回るペースでコース前半を走行したが、後半で失速しタイム更新ならず。シューマッハが見事ポール・ポジションを獲得した。

シューマッハの走り

シューマッハの走り

しかし決勝レースのスタートでシューマッハは車速が伸びず、ハッキネンがトップで第1コーナーに飛び込んでいった。シューマッハは鈴鹿でチャンピオンを決めるべくハッキネンを猛追。1回目のピットイン後に降り始めた雨を利用し、ハッキネンの背後に迫り前に出るチャンスを伺った。ハッキネンは37周目に2回目のピットイン。前がいなくなったシューマッハはスパートをかけ、3周後にピットに向かった。
シューマッハがピットアウトすると、ハッキネンはまだ最終コーナーを立ち上がったところだった。新しいタイヤが濡れた路面で暖まらず、ペースを乱していたのだ。完全にシューマッハの作戦勝ちだ。レース終盤は逃げるシューマッハと追うハッキネン、ともにギリギリの走りで一定の間隔を保ちながらのバトルとなった。最終的に刻々と路面状況が変わる難しいコンディションでミスすることなく走りきったシューマッハが、ハッキネンの追撃をかわし優勝。鈴鹿で自身3度目、フェラーリにとっては1979年以来21年ぶりとなるドライバーチャンピオンを決めた。
1994年・95年にベネトンでチャンピオンを獲得したシューマッハは96年にフェラーリに移籍。低迷していたチームの立て直しを図り、5年目でやっと得た栄冠だった。そして5年連続チャンピオンというフェラーリ&シューマッハによる黄金時代のスタートとなったこの走りは、今でも多くのファンに語り継がれている。
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