鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
1996年
デイモン・ヒルとジャック・ビルヌーブによる史上初の二世対決は、
ヒルが史上初の親子チャンピオンを獲得!

F1史上初の親子チャンピオンに輝いたデイモン・ヒル

F1史上初の親子チャンピオンに輝いたデイモン・ヒル

ウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルは1962年と68年にワールドチャンピオンを獲得したグラハム・ヒルの息子だ。本格的に4輪レースを始めたのは24歳。遅いスタートだったがF1デビューイヤーの93年、早くも第2戦で2位表彰台に立ち、年間3勝を挙げる活躍をみせた。その後94年、95年とタイトルを獲得したミハエル・シューマッハと激しい戦いを展開。96年もチャンピオン候補に挙げられていた。
ジャック・ビルヌーブは、無冠ながらもフェラーリで活躍し多くのファンに愛されたジル・ビルヌーブの息子だ。18歳で本格的にレースデビュー、94年にアメリカ最高峰フォーミュラレースCARTシリーズに参戦、95年にチャンピオンを獲得した。96年にウィリアムズチームから、父と同じF1へのデビューを果たすと、開幕戦でいきなり2位表彰台をゲットして実力を見せつけた。その後も好成績を残し、タイトルへと突き進むヒルの前に立ちはだかった。F1史上初の二世対決はヒルが7勝を挙げで87ポイント、ビルヌーブは4勝ながらも着実に上位フィニッシュを重ね78ポイント。9ポイントの差で最終戦日本グランプリを迎えた。
ジャック・ビルヌーブ
ジャック・ビルヌーブ
S字を駆け抜けるヒル
S字を駆け抜けるヒル
ピットで二人の戦いを見守るチーム代表のフランク・ウィリアムズ氏
ピットで二人の戦いを見守るチーム代表のフランク・ウィリアムズ氏
ヒルは1ポイント取ればチャンピオンに決定する。ビルヌーブは最低でも優勝しなければならない状況だ。F1初となる「デビューイヤーチャンピオン」の称号を目指し予選に挑んだビルヌーブは序盤からトップタイムを連発。対するヒルは予選終了間際に渾身の走りを見せたが、100分の6秒およばず2位。ビルヌーブが見事ポール・ポジションを獲得し、両者はフロントローからチャンピオン決定戦に挑んだ。
ポール・ポジションを獲得したビルヌーブ
ポール・ポジションを獲得した
ビルヌーブ
決勝レーススタート。ビルヌーブは数台のマシンに抜かれ順位を落とした
決勝レーススタート。ビルヌーブは数台のマシンに抜かれ順位を落とした
トップチェッカーを受けるヒル
トップチェッカーを受けるヒル
決勝スタート。この瞬間、誰よりも緊張していたのはビルヌーブだったのかもしれない。スタートで大きくマシンがスライドし、6位に後退してしまったのだ。だがここから猛追を開始。4位に浮上すると前を行くミカ・ハッキネン(マクラーレン)とミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を追った。この2台を抜けばあとはヒルだけ。もてる力の全てを出し、ファステストラップを記録しながら追い上げたが、勝利の女神が微笑む事はなかった。37周目の第1コーナーでビルヌーブが一瞬ふらついた。右後輪が外れたのだ。マシンはそのままコースアウト。すべてのドライバーに一度しかチャンスがないデビューイヤータイトルの夢は潰えた。
これで初のチャンピオンが決定したヒルだったが、最後までアクセルを緩めることはなかった。ハッキネン、シューマッハを寄せ付けずシーズン8勝目のチェッカーを受けた。誰も成し得なかった偉業にあと一歩まで迫ったビルヌーブ。F1史上初となる親子チャンピオンを獲得したヒル。96年二世対決のドラマは、永遠に語り継がれるだろう。
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