鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー

F1日本グランプリレースレポートF1日本グランプリレースレポート
1992年Vol.1
圧倒的な強さでシーズンを席巻したマンセルが鈴鹿で魅せた!!

ナイジェル・マンセル

ナイジェル・マンセル

デビュー当初からその才能を花咲かせ、幾度となくチャンピオンタイトル争いに名を連ねたナイジェル・マンセル。しかしアラン・プロスト、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナらに阻まれ、栄冠を得ることなく、12年目のシーズンを迎えていた。「無冠の帝王」と呼ばれたマンセルだったが、古巣ウィリアムズに戻り2年目のシーズンとなった1992年は、序盤から5連勝を達成。ウィリアムズのアクティブサスペンション技術が成熟し、マンセルのドライビングと完全にマッチした結果だった。過去5年、日本グランプリがタイトル決定の場となってきたが、このシーズンはマンセルのあまりの強さに、第11戦で早くもタイトルが決定する、稀に見る独走のシーズンとなった。
多くのファンに親しまれたマンセルだったが、この年、その人気はさらに急上昇。第15戦日本グランプリには多くのユニオンジャックが掲げられ、フリー走行から大声援が送られた。ファンの期待に後押しされるように予選で見事なタイムアタックを決め、2番手のチームメイト、リカルド・パトレーゼに0.9秒もの差をつける圧倒的な速さでポール・ポジションを獲得した。
スタンドには多くのユニオンジャックが
スタンドには多くのユニオンジャックが
ピットからコースに向かうマンセル
ピットからコースに向かうマンセル
ポール・ポジションを獲得したマンセルの走り
ポール・ポジションを獲得した
マンセルの走り
決勝レースは惜しくもリタイヤとなった
決勝レースは惜しくもリタイヤとなった
挙動を乱すことなく第1、第2コーナーをクリア、リズミカルにS字コーナーを抜けると圧巻はダンロップコーナー、130Rだ。誰も追いつけない圧倒的なスピードで走り抜け、シケインでは豪快なブレーキングとステアリングさばきを見せた。若き天才エイドリアン・ニューウェイとパトリック・ヘッドが繰り出したF1史上最高傑作との呼び声も高いウィリアムズFW14Bを手足のように操り、世界屈指のテクニカルコース鈴鹿サーキットを誰よりも速く走り抜けた。決勝レースは惜しくもトラブルでリタイヤとなったが、王者マンセルが魅せたその走りは、今でも多くのファンに語り継がれている。
1992年Vol.2
F1参戦16年の鉄人パトレーゼが239戦目となった鈴鹿で優勝!

ファンの大声援を受けて走るパトレーゼ

ファンの大声援を受けて走るパトレーゼ

ウィリアムズのチームメイト、ナイジェル・マンセルの陰に隠れがちだったリカルド・パトレーゼだが、1992年シーズンは第15戦日本グランプリを迎えるまでに、8回もの表彰台を獲得していた。タイトルもマンセルに決定し、なんとしてでもシーズン1勝を挙げたい。スタートでトップに出ることに集中したが、マンセルも好スタート。相手がマンセルではまたも優勝は無理なのか。そんな思いがよぎったがパトレーゼは決して諦めなかった。後ろに迫るアイルトン・セナ(マクラーレン)はリタイヤした。ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン)が3位に上がったが、その追い上げも寄せ付けなかった。見据えているのは前のマンセルだけだ。
パトレーゼの走り
パトレーゼの走り
優勝後マシンから降り、笑顔を見せるパトレーゼ
優勝後マシンから降り、
笑顔を見せるパトレーゼ
鈴鹿でシーズン初優勝を決めたパトレーゼ
鈴鹿でシーズン初優勝を決めた
パトレーゼ
レースも後半に差し掛かった36周目に異変が起きた。マンセルがスローダウンし、パトレーゼにトップを譲ったのだ。その後マンセルもマシントラブルからリタイヤ。もうパトレーゼを追う者はいなくなった。セナやマンセルのリタイヤで一瞬静まり返った鈴鹿サーキットだったが、パトレーゼの力走がファンに感動を与えた。大きな声援が送られる中、堂々のトップチェッカー。その力強い走りは、ともに現地で体感したファンの間で今でも語り継がれている。77年にデビューし、239戦目を迎えた鉄人パトレーゼは通算6度目、そして悲願のシーズン初優勝を鈴鹿で手にした。
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