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2016 F1日本グランプリ

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F1日本GPトップ>特集一覧>F1日本グランプリ「大逆転の歴史」、ジェンソン・バトン F1 栄光の旅路

F1日本グランプリ「大逆転の歴史」

マクラーレン・ホンダ、フェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトンの逆転上位はあるか!?数々のドラマが生まれた、日本グランプリの逆転劇を振り返る!

2015年、マクラーレンチームにパワーユニットを供給する形で7年ぶりにF1に復帰したHonda。タイトルを総なめにしたマクラーレン・ホンダの復活は実に23年ぶりのこと。ドライバーもともにチャンピオン経験者のフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの超強力な布陣で臨んだものの、初年度はアロンソの5位が最高に終わった。それでもマクラーレン・ホンダは徐々に、確実に力をつけ、2016年は第14戦を終えた時点でアロンソが最高5位、4度の入賞、バトンが最高6位、5度の入賞を果たしている。当然Hondaの母国、日本グランプリでは全力で取り組んでくるし、いつも以上の力を発揮する。鈴鹿サーキットの日本グランプリでは過去多くの逆転劇が生まれており、マクラーレン・ホンダ勢の予選、決勝での上位進出、逆転の表彰台も期待しつつ、日本グランプリで生まれた心に残る逆転劇を紹介する。

1988年

まさかのエンジンストール。8位に後退したアイルトン・セナが見せた勝利への執念。
王者アラン・プロストを抜く逆転勝利で初のタイトル獲得。

1988年イメージ

1988年イメージ 1988年イメージ

1988年2度目の鈴鹿サーキット開催となったF1日本グランプリ、この年はマクラーレン・ホンダのアラン・プロスト、アイルトン・セナの激しいタイトル争いが展開されセナ7勝、プロスト6勝で鈴鹿に乗り込んできた。セナが勝てば2年連続のチャンピオンが決まる状況。ポールポジションにつきスタートの瞬間を待つセナ、しかし次の瞬間スタンドの歓声は悲鳴に変わった。エンジンストール。これで終わりと思われたが、セナはメインストレートの下り坂を利用してエンジン再始動し、8位からレースを始めることに。誰もがトップを走るプロストの勝利を信じたが、ここからセナの快走が始まった。次々と前車をパスし、レース中盤にはプロストに追いつき一気に好き去ったのだ。8位から王者プロストを抜いいた大逆転優勝は、セナ初のワールドチャンピオン獲得を決めた勝利でもあった。

1994年

雨の中の波乱のレース。見えないトップ、ミハエル・シューマッハを追い続けた
デイモン・ヒルの執念が逆転優勝を呼びシューマッハのタイトル決定を阻止。

1994年イメージ

1994年イメージ 1994年イメージ

1994年のF1は8勝を記録したベネトンのミハエル・シューマッハと、5勝を記録してこれを追うウイリアムズのデイモン・ヒルとの戦いとなったが、シューマッハが大きくリードして日本グランプリを迎えた。シューマッハがヒルを下せば最終戦を待たずに初のチャンピオンが決定する状況でシューマッハはきっちりとポールポジション獲得。ヒルは2番手。しかし雨の中の決勝は波乱のレースとなる。一時中断を挟んで中断前と中断後のパートのタイム合計で争われることになり、後半ヒルがリードしたものの見かけ上は2位を走るシューマッハがタイム合計でトップに。シューマッハは終盤ピットインしてタイヤを交換する。これでヒルが逆転しトップに立ったが、フレッシュなタイヤで猛追するシューマッハが楽にトップを奪い返すと思われた。しかし使い古したタイヤで暴れるマシンを見事に制御し、見えないシューマッハの追撃をしりぞけたヒルが優勝、シューマッハのタイトル決定を阻止してみせた。

2000年

雨が降り出して形勢逆転。劣勢を跳ね返したミハエル・シューマッハが逆転優勝で
自身3度目のチャンピオン獲得と同時に、フェラーリに21年ぶりのタイトルをもたらす。

2000年イメージ

2000年イメージ 2000年イメージ

1996年にフェラーリに移籍したミハエル・シューマッハが7勝、1998年、99年と2年連続チャンピオンを獲得したマクラーレンのミカ・ハッキネンが4勝で迎えた2000年第16戦日本グランプリ。3年連続のタイトル獲得に執念を燃やすハッキネンが2番手スタートから好ダッシュ。ポールポジションのシューマッハを抜いてぐんぐんリードを広げる展開となった。明らかに速いマクラーレン。このままならハッキネンの優勝と思われたが、途中から降り始めた雨が状況を大きく変えた。悪条件下で誰よりも速いラップタイムを刻んだシューマッハがハッキネンとの差を一気に詰めて逆転優勝。これでシューマッハは最終戦を待たずに、自身3度目のドライバーズチャンピオンが決定。同時にこれはフェラーリにとっても実に21年ぶりのタイトル獲得だった。

2005年

17番手スタートから最終ラップにトップ浮上。同じ6勝を記録しながら、
フェルナンド・アロンソにタイトルを奪われたキミ・ライコネンが見せた意地の大逆転優勝

2005年イメージ

2005年イメージ 2005年イメージ

2005年のF1日本グランプリは第18戦として行われたが、すでにドライバーズチャンピオンは前戦でルノーのフェルナンド・アロンソが初めて獲得しており、アロンソとタイトル争いを展開し、同じ6勝を記録しながら敗れたマクラーレンのキミ・ライコネンにとっては一矢報いたいところ。しかし予選セッション途中から雨が降り出し、ライコネンはまさかの17番手、アロンソも16番手スタートとなった。しかしここから信じられない展開が待ち受けていた。一転して好天に恵まれた決勝でライコネンはファステストラップを記録する速さでアロンソを始め、次々と前車を抜き去り、ついに最終ラップのメインストレートでトップのジャンカルロ・フィジケラに並びかけ、第1コーナアウト側から抜き去ったのだ。タイトル争いに敗れたライコネンが見せた奇跡の大逆転、意地の7勝目だった。

2011年

セバスチャン・ベッテルのチャンピオンは決まっても勝たせない。
ランキング2位、ジェンソン・バトンの意地が逆転の勝利をもぎ取り、日本グランプリ初優勝。

2011年イメージ

2011年イメージ 2011年イメージ

レッドブルのセバスチャン・ベッテルが圧倒的な強さを見せ、9勝を記録して乗り込んできた第15戦日本グランプリ。ベッテルはここ日本で1ポイント以上獲得すれば、ライバルの動向に関係なく2年連続チャンピオンが決まる状況。だがベッテルは予選ポールポジション獲得。これは日本グランプリで3年連続、開幕から続くレッドブルの連続ポールポジション記録を15に伸ばすものだった。ベッテルは勝ってチャンピオン決定に華を添えるつもりだ。ここでチャンピオンは決まっても勝たせないと、意地を見せたのはランキング2位のマクラーレン、ジェンソン・バトンだった。予選2番手からスタートで3位に後退するも、序盤で2位に返り咲くと、ハイペースでトップ、ベッテルとの差を詰めてついに逆転。最後はファステストラップを記録する速さで追うベッテルを突き放して、この年3勝目、日本グランプリ初優勝達成となった。

ジェンソン・バトン F1 栄光の旅路

今年がラストランとなってしまうのか!? Hondaとともに歩んだジェンソン・バトンのレース人生を辿る

日本でも人気が高く、2009年にはワールドチャンピオンにも輝いているジェンソン・バトン。2000年にF1デビューを果たすと、2003年からB・A・Rホンダに移籍し現在はマクラーレン・ホンダで活躍するなど、これまでの17シーズンの内、実に8シーズンをHondaエンジンのマシンで戦ってきた。2006年には第3期HondaF1挑戦の初優勝を飾っており、バトンのF1人生はHondaとともに歩んできたと言っていいだろう。そのバトンが2017年はマクラーレン・ホンダのアドバイザー兼リザーブドライバーに就任することになった。レギュラードライバーの座を離れるバトン。日本のファンの前でF1マシンをドライブするのは今年が最後となる可能性もある。ここで、これまで数々の記録を残し、日本のファンに多くの感動を与えてきたジェンソン・バトンのレース人生を振り返ってみよう。

2015年〜

HondaがついにF1復帰。新生マクラーレン・ホンダの一員として活躍するも、2017年休養を発表。
日本GPで集大成のレースを見せられるか!?

2015年〜イメージ

2015年〜イメージ 2015年〜イメージ

2015年HondaがF1へ復帰し、マクラーレンとタッグを組むことになった。1980年代は最強と恐れられてきた「マクラーレン・ホンダ」が帰ってきた。その一員としてレースに臨んだバトンは、前半戦こそパワーユニットの熟成不足で苦戦したが後半になって少しずつペースアップ。特に雨となったアメリカGPでは速さを見せて6位入賞。2シーズン目となった今年は序盤戦から入賞圏内を争うレースを展開。第9戦オーストリアGPでは雨となった予選で5番手に入り、ライバルのグリッド降格ペナルティもあって、新生マクラーレン・ホンダはベストとなる3番グリッドからスタート。一時は2位を快走する速さを見せ、6位でフィニッシュ。久しぶりにトップ争いを演じた。今後も活躍が期待されたが9月初旬のイタリアGPで来期休養を発表。彼も大好きと語る鈴鹿サーキットで、ここまでの集大成となるレースを披露できるか、自身にとって3年ぶりとなる表彰台も見られるかもしれない。

2009年〜2014年

2009年Hondaのスピリットを引き継いだブラウンGPで悲願のワールドチャンピオン獲得。
名門マクラーレン移籍後も強さを見せるも、次第に低迷の道へ。

2009年〜2014年イメージ

2009年〜2014年イメージ 2009年〜2014年イメージ

2008年末にHondaのF1撤退が発表され、代表だったロス・ブラウンがチームを引き継ぎ、2009年「ブラウンGP」として新たなスタートを切った。車両規定の大幅な変更でライバルが苦戦する中、ジェンソン・バトンは開幕戦オーストラリアGPで優勝すると、その後も勝利を重ね、前半戦8戦のうち6勝を記録する圧倒的な強さを見せた。これは後半戦も変わらず、着実にポイントを重ね、ついにデビュー10年目にして初のワールドチャンピオンの栄冠に輝いた。翌2010年、名門マクラーレンチームに移籍すると、タイトル連覇はかなわなかったが2勝を記録。2011年には日本グランプリを制するなど3勝し、ランキング2位を獲得。2012年も3勝を挙げる活躍を見せた。混乱が多い雨絡みのレースで強さを発揮したバトンだったが、2013年以降は、優勝争いから遠ざかることが多く、2014年開幕戦の3位を最後に表彰台からも遠ざかっている。(2015年〜につづく)

2006年〜2008年

2006年ハンガリーGPでついに初優勝!第3期HondaF1チャレンジにとっても、歓喜の初優勝となった。
しかし翌年からまさかの低迷が続くことに。

2006年〜2008年イメージ

2006年〜2008年イメージ 2006年〜2008年イメージ

2006年チームはHondaワークスに体制変更。ジェンソン・バトンもエースドライバーとして開幕戦から快進撃をみせた。第2戦マレーシアGPで3位表彰台を獲得すると、第3戦オーストラリアGPではポールポジション。そして第13戦ハンガリーGP。雨絡みの難しいレースを制し、デビューから115戦目にしてF1初優勝を飾った。同時にこれはHondaにとっても、2000年から始まった第3期F1参戦の初優勝だった。この年バトンはシリーズランキング6位に食い込み、翌年のさらなる活躍が期待された。しかし2007年はマシン開発が思うように進まず、苦戦の連続。3度の入賞を記録しただけで終わり、ランキングも15位と低迷。2008年もトップとの差が著しく、第4戦スペインGPでの6位がこのシーズン唯一の入賞となり、ランキング18位と自身のF1キャリアの中でもワーストとなる結果となってしまった。(2009年〜につづく)

2003年〜2005年

デビュー2年目からのベネトン時代は苦戦の連続もB・A・R ホンダ移籍を機に復調。
トップ争いを展開するまでになったが、またも不運が。

2003年〜2005年イメージ

2003年〜2005年イメージ 2003年〜2005年イメージ

ウイリアムズからのF1デビューを経て、翌年からベネトンに移籍したものの苦戦の連続となったジェンソン・バトン。しかし2003年にB・A・Rホンダに移籍すると、移籍2年目からバトン本来の走りが戻ってきた。2004年第2戦マレーシアGPでデビュー69戦目にして初の3位表彰台を獲得すると、第4戦サンマリノGPでは初のポールポジションを獲得。その後も、同年のチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハを相手に互角のレースを展開。4度の2位を含む計10回の表彰台を記録しランキング3位と大健闘。2005年もトップ争いの一角を担う選手として注目されたが、第4戦サンマリノGPで車両規定違反により失格。その後チームは2戦の出場停止処分をうけ、前半から大きく出遅れてしまった。それでもバトンはシーズン後半で2度の表彰台をはじめ第10戦以降は9戦連続でポイントを獲得し、彼本来の速さをみせつけた。(2006年〜につづく)

1991年〜2002年

カートレースで数々の栄冠を手にし、マクラーレンの
オートスポーツ・ヤング・ドライバー・オブ・ザ・イヤーを獲得。20歳の若さでF3から一気にF1にデビュー

1991年〜2002年イメージ

1991年〜2002年イメージ 1991年〜2002年イメージ

1980年1月19日生まれのジェンソン・バトンは、父の影響もあって幼いころからレースに憧れていた。転機は8歳の時だった。クリスマスに父からゴーカートをプレゼントされたのだ。ジェンソンの才能はすぐに開花した。1991年、イギリスのカデット・カート選手権で34戦全勝の圧倒的強さでチャンピオンを獲得すると、1997年にはヨーロッパ選手権のスーパーAクラスで史上最年少の17歳でチャンピオンを獲得。翌年4輪レースにデビューし、イギリス・フォーミュラ・フォードでいきなりチャンピオンに輝くと、この年の末にはマクラーレン、オートスポーツ・ヤングドライバー・オブ・ザ・イヤーを獲得。1999年にはイギリスF3に参戦し3勝を挙げランキング3位。同年のマカオグランプリでは2位に入る活躍を見せた。2000年に20歳という若さでウイリアムズからF1デビュー。いきなり2戦目のブラジルGPで6位入賞すると、第13戦ベルギーGPでは予選3位に食い込む走りを見せ、新人とは思えない速さと安定感をみせ注目を集めた。しかしベネトンに移籍した2年目以降は苦労が絶えないレースが続いた。マシンパフォーマンスが劣り、トップ10に入れないレースがほとんど。アグレッシブな走りは影を潜め、我慢のシーズンが続いた。(2003年〜につづく)

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