F1

2018 F1日本グランプリ 来場ゲストSpecial guest

中嶋悟氏(1987年〜1991年)

中嶋悟氏(1987年〜1991年)

日本人初のフルタイム参戦F1ドライバー

1987年にロータスから日本人初のフル参戦F1ドライバーとしてデビュー。Hondaのドライバーだっただけでなく、1983年に英国で行われたロータスのF1テストでの走りも評価されていた。持ち前の繊細なマシンコントロールで、特に雨の中では抜群の巧さを見せ、1989年のオーストラリアGPではファステストラップを記録し、地元の鈴鹿でも活躍。現在は国内レースでチームを率いるほか、SRS(鈴鹿サーキットレーシングスクール)の校長も務めている。

鈴木亜久里氏(1988年〜1995年)

鈴木亜久里氏(1988年〜1995年)

鈴鹿で日本人初の表彰台

1988年の日本GPで、病欠のヤニック・ダルマスの代役としてF1にデビュー。翌1989年はザクスピード・ヤマハでフル参戦を果たすが、マシンの不振から全戦で予備予選(*)落ちを喫した。1990年にラルースに移籍すると実力を発揮。日本GPでは3位となり、F1史上初の日本人表彰台獲得を記録した。1992〜93年にはフットワーク(アロウズ)でフル参戦し、95年までジョーダンとリジェでもスポット参戦した。また、1998年にはル・マン24時間レースで3位にもなった。*当時下位チームにのみ課されていたGP参戦権をかけた予選。開催初日の朝に行われた。

ジャン・アレジ氏(1989年〜2001年)

ジャン・アレジ氏(1989年〜2001年)

熱く速い走りで、記憶に残る活躍

1989年フランスGPでティレルに乗り、デビュー戦で4位に入賞しセンセーションを巻き起こした。翌1990年のフェニックスGPではアイルトン・セナとの熱いバトルが多くのF1ファンの記憶に残った。1991年に熱望されてフェラーリに移籍。だがフェラーリは成績下降期になっていた。そのなかで1995年カナダGPでは誕生日に初優勝。これがF1での唯一の勝利となった。2001年までF1で活躍。現在GP3で活躍中の息子ジュリアーノとともに、鈴鹿のモータースポーツファン感謝デーにも度々参加している。

ミカ・ハッキネン氏(1991年〜2001年 1998年・1999年チャンピオン)

ミカ・ハッキネン氏
(1991年〜2001年 1998年・1999年チャンピオン)

シューマッハのライバル、温厚な紳士

1990年のマカオGP(F3)でミハエル・シューマッハと激戦を展開。翌年ロータスからF1デビュー。1993年マクラーレンに移籍して日本GPで3位となり、初の表彰台を獲得。1995年の最終戦で重傷を負ったが、翌年復帰。1997年に初優勝すると、1998年と1999年にシューマッハを擁するフェラーリとの激戦を制してチャンピオンとなる。2001年でF1を引退。温厚な人柄から多く尊敬を集め、現在も多方面で活躍中。現在メルセデスAMGで活躍するバルテリ・ボッタスにとっては憧れの存在。

片山右京氏(1992年〜1997年)

片山右京氏(1992年〜1997年)

世界中で愛された日本人F1ドライバー

1992年にラルースからF1にデビュー。翌1993年にティレルに移籍。1994年には中堅チームながら2番手を走行するなどトップクラスの速さを見せた。1997年にミナルディに移り、この年でF1を引退。1999年のル・マン24時間レースでは総合2位に入賞した。フランスのフォーミュラルノーやF3時代以来、積極果敢な走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれて人気となり、加えてF1ではユーモアある人柄でも愛された。現在はレース解説やSUPER GT、自転車レースの監督として活躍している。

デイモン・ヒル氏(1992年〜1999年)

デイモン・ヒル氏
(1992年〜1999年 1996年チャンピオン)

1996年F1最終戦・鈴鹿の日本グランプリでチャンピオンを決める

2度のF1チャンピオンに輝いた名ドライバー、グラハム・ヒルを父に持つ。若い頃はロックバンドのギタリストとして活躍したが、やはり血は争えないのか、デイモンもまた、偉大な父の後を追うようにモータースポーツの世界に入る。2輪レースを経て23歳で4輪レースデビュー、F3などを経て1992年にブラバムからF1デビューした。1993年名門ウイリアムズF1チームに移籍すると父譲りの才能が開花、1994年には日本GPでこの年6勝目となる優勝を果たす。その後も常にトップ争いを続け、1996年にジャック・ビルヌーブとチームメイト同士の激しいタイトル争いを展開。最終戦の日本GP、予選2位からスタートでトップに立つと、シューマッハ(フェラーリ)の追撃を最後まで押さえ込む完璧なレースを展開、この年8勝目を飾りドライバーズチャンピオンを獲得した。

ルーベンス・バリチェロ氏(1993年〜2011年)

ルーベンス・バリチェロ氏
(1993年〜2011年)

F1最多出走を誇る名手は好チームプレイヤー

1993年にジョーダンでF1にデビュー。同年の日本GPで5位となり、初入賞。翌年のベルギーGPの予選で史上最年少ポールポジション記録を樹立(当時、現:歴代では3位)。以後、スチュワート(現:レッドブル)、フェラーリ、HondaとブラウンGP(現:メルセデス)、ウイリアムズで19年間に渡ってF1に参戦し続け、史上最多出走記録を保持している。全天候に対応できる高度な技術を持ち11勝と14ポールを挙げたほか、ミハエル・シューマッハやジェンソン・バトンの王座獲得にも貢献した。

フェリペ・マッサ氏(2002年、2004年〜2017年 最高ランキング2位)

フェリペ・マッサ氏
(2002年、2004年〜2017年 最高ランキング2位)

怪我から復活した愛すべきドライバー

2002年にザウバーからF1デビュー。2戦目のマレーシアGPで6位に入賞した。2006年にフェラーリに加入。2009年のハンガリーGPで重傷を負ったが、翌年に復帰を果たした。フェラーリ在籍中はシューマッハとアロンソの支援役も多かったが腕は確かで、特に高速コーナーを得意としていた。2014年にウィリアムズに移籍し、2017年はチームの要請でF1引退を1年延期して参戦した。とても愛される人柄で、2度の引退発表とも、多くの人から惜しまれた。

佐藤琢磨選手(2002年〜2008年 2017年INDY500王者)

佐藤琢磨選手
(2002年〜2008年 2017年INDY500王者)

SRSの卒業生からインディ500チャンピオンに

1997年に鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を首席で卒業、2001年の英国F3チャンピオンを経て、2002年にジョーダンからF1に参戦。2003年の日本GPにBAR・ホンダに移籍。2004年のアメリカGPで3位になり、日本人2人目のF1表彰台を獲得した。鈴鹿は得意で2002年から2004年に3年連続で入賞している。2006年にスーパーアグリF1に移籍し、2008年まで参戦。2010年から戦いの場をインディカーに移し、2017年日本人初のインディ500チャンピオンになった。

中嶋一貴選手(2007年〜2009年)

中嶋一貴選手(2007年〜2009年)

不運なF1時代を経てル・マン24時間レース制覇へ

2007年のGP2での活躍を経て、同年のブラジルGPでウイリアムズ・トヨタからF1にデビュー。翌2008年から2009年までウイリアムズからフル参戦し、入賞5回を記録。速さや堅実さも見せていたが、なかなか結果にはつながらなかった。2011年に国内レースに参戦し、フォーミュラニッポンとスーパーフォーミュラで2012年と2014年に王座を獲得。2012年からは世界耐久選手権(WEC)にも参戦、2018年のル・マン24時間レースでは念願の初制覇を果たした。

※9月20日時点
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